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池袋通り魔事件、殺人犯が抱えた深すぎる闇/9月8日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.09.08 11:00 最終更新日:2021.09.08 11:00
1999年(平成11年)9月8日、東京・池袋の雑踏で通り魔殺人事件が起きた。東急ハンズ池袋店で購入した包丁と金づちを手にした男(以下A)は、無作為に周囲の通行人を襲い、死者2名、重軽傷者6名という被害を出した。
この日、サンシャインシティの地下から地上へ出たAは、「むかついた。ぶっ殺す」と口走りながら、エスカレーターをのぼってきた老夫婦を襲った。胸部を刺された妻は、ほぼ即死。Aは夫を金づちで何度も殴ったのちに走り出し、別の女性をも刺し殺した。
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その後、Aは繁華街を歩く人々を襲いながら駅に向かう途中、現行犯で逮捕された。
歴史学者の濱田浩一郎さんが、こう語る。
「事件当時、Aは23歳でした。生い立ちは複雑で、高校生の頃、両親がギャンブルによって約4000万円の借金をつくり失踪しています。
残されたAは、アルバイトをしながら高校に通いますが、生活が苦しく中退せざるをえませんでした。以降、肉体労働系の職を転々としています。
東京に出ても、まともな職にありつけなかったことから、アメリカに渡ったこともありました。
しかし、雇い先も見つからないまま、なかば行き倒れのような形で領事館に保護されるのです。一時は日系の教会関係者のもとで生活していましたが、ビザの関係で日本に帰らざるを得ませんでした。
事件を起こしたときは、足立区に住み、新聞配達をして暮らしていたようです」
じわじわとAを蝕んでいった絶望が爆発したのは、新聞配達の勤務中、携帯にかかってきた無言電話だったという。
事件後に調べられたAのアパートの部屋には、「わし以外のまともな人がボケナス殺しとるけえのお。わしもボケナスのアホ全部殺すけえのお。アホ、今すぐ永遠じごくじゃけえのお」と書かれたメモが残されていた。
殺人を決意し、部屋を飛び出したのは9月4日だが、実際に事件を起こすまでには、4日間の逡巡があった。
事件後、2002年1月には東京地裁により死刑判決が下された。Aは控訴したが棄却され、最高裁で死刑が確定している。
Aが獄中から送った手紙には、「今の日本や社会の状況で、私が死刑なんてないと思います」などと、強い戸惑いを語るものもあった。自分の置かれた状況へ常に不満を持つ姿勢は、一貫していたといえる。
事件が起きた東急ハンズ池袋店は、今月下旬には営業を終了する。暗い平成を思い起こさせる場所が、また一つ消えていく。