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携帯電話も自販機も…大阪万博がもたらした未来/9月13日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.09.13 11:00 最終更新日:2022.05.05 00:28
1970年9月13日、「太陽の塔」の灯が消え、大阪万博が閉幕した。同年3月15日から始まった日本初の万国博覧会は、77カ国が参加。最終的な入場者数は、6400万人を超えたという。
万国博覧会は、1851年のロンドンから始まった。各国が、お国柄や自国の最新技術を反映した展示品を見せていく催しは評判を呼び、毎年のように、世界のあちこちで開催されるようになった。
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歴史学者の濱田浩一郎さんが、こう語る。
「日本が万博に参加したのは、江戸時代の終わり頃、1867年開催の『第2回パリ万博』からです。
徳川幕府は、当時の将軍慶喜の弟・昭武を名代として向かわせたのですが、そこに経理担当として同行したのが、のちに『日本資本主義の父』と呼ばれる渋沢栄一でした。
日本からは、葛飾北斎の浮世絵や、工芸品などが出品されたほか、着物を着た女性がお茶をたてるといったパフォーマンスも見せ、存在感を示しました。
万博が初めて日本で開催されたのは、それから約100年後、1970年のことでした。会場には116の展示館が建てられ、国ごとに工夫をこらした展示をおこなっています。
いま現在、当たり前に日常のなかにあるものは、大阪万博をきっかけに普及したものも少なくありません」
たとえば、「電気通信館」では日本電信電話公社(現・NTT)が、「未来の電話機」として携帯電話を展示した。実際に、1人につき約30分の通話を無料で試すことができた。来場者たちは、日本国内への通話や、会場内の端末同士での会話を楽しんだという。
「三菱未来館」では、いまやあちこちで見かける「動く歩道」が展示された。技術自体は1967年から国内に導入されていたが、これほど普及したのは大阪万博以降のことだ。「トラベーター」と名付けられた動く歩道に乗り、会場内に設置された展示物を一覧できるつくりは大きな話題を呼んだ。
自販機にある缶コーヒーも、ヒットのきっかけは大阪万博だ。ちょうど1969年、世界初の缶入りコーヒーを開発したUCC上島珈琲は、会場内の飲食店に営業をかけた。国内の営業では「邪道」と非難されることもあったが、大阪万博ではその手軽さで人気が出た。
2025年、大阪万博が再び開かれる予定だ。1970年の大阪万博で人々が夢見た世界は、いま我々の目の前にある。はたして、万博はまた夢を見せてくれるのだろうか。