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三原じゅん子氏 “人寄せパンダ” と笑われ11年…モノ言う政治家になっていた! 安倍晋三氏にも喝「疑惑に説明を」

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2022.02.09 06:00 最終更新日:2022.02.09 06:00

三原じゅん子氏 “人寄せパンダ” と笑われ11年…モノ言う政治家になっていた! 安倍晋三氏にも喝「疑惑に説明を」

 

「『タレント議員』ってへんな言葉だと思っています。どんな議員にも前職があり、サラリーマンだった人、弁護士から転身した人もいるけれど、『サラリーマン議員』や『弁護士議員』とは言わない。そういう呼び方をされるのは、元タレントだけなんです」

 

 そう語るのは、参議院議員三原じゅん子氏(57)だ。現在、野田聖子内閣府特命担当大臣(61)の補佐官を務める三原氏だが、いまなお15歳で演じた『3年B組金八先生』(TBS系)のツッパリ少女「山田麗子」のイメージは強い。

 

 

 しかし、2010年7月の参議院選挙で初当選し、国会議員としてのキャリアも気づけば11年め。今井絵理子氏(38)、山本太郎氏(47)など “後輩” も多く、現役タレント議員のなかでも、いまや “最古参” と呼ぶべき風格をまといつつある。そんな三原氏に本誌は初めて単独インタビューを敢行した。

 

「山田麗子役もたまたまいただいた役にすぎず、実際にツッパリ少女だったわけではありません。でも、そのイメージがすっかり定着してしまい、その後、タレント時代は何をしても山田麗子のイメージを最後まで払拭できずにいたと思います」

 

 7歳で劇団に入り、子役デビューした三原氏。『金八』でのブレイク後は女優を続けながらも、『セクシー・ナイト』での歌手デビューやロックバンド活動、モータースポーツへの参戦など、多角的な活躍をしたが、たしかに「山田麗子」像との戦いだったのかもしれない。

 

 しかし、長年のタレント活動は選挙戦においては有利に働いたのではないか。

 

「知名度が有利になる場合もあれば、その逆もあります。私の場合は “ツッパリ” イメージが強かったこと、仕事に恵まれない期間が長かったことなどが災いして、かえって不利な面があったと思うんです。

 

 自民党から出馬したくても、門前払いの状態が続いて、最初は公認申請すら出させていただけなかった。当時幹事長だった大島理森さんも『自民党にタレントは必要ない』とおっしゃっていたそうです。

 

 しかし、“元タレント” を理由に認められないのは納得できず、自民党本部に日参してどうにか道を切り開きました。

 

 なんとか当選を果たしましたが、議員になっても自分がどう見られているかはわかっていたので、10年間は “雑巾がけ”。つまり、地道に党務をこなす下働きを積み上げようという覚悟だったんです。応援要請に応じて全国をまわったのも『人寄せパンダ』と笑われようが、自分の立場をわきまえてのことでした」

 

 菅義偉前首相(73)の内閣で厚生労働副大臣に就任し、初 “ポスト” を得たが「じつは何度か、政務官の内示を受けたことがありましたが、お断わりしていました」と言う。自分が決めた “雑巾がけ” 期間が終わっていなかったからだ。

 

 ただ、「議員活動を経て自信がつきました。そろそろ私も内閣の一員になってもいいのでは、と思えたんです」と話すように、風向きは変わった。

 

 そもそも、なぜタレントの道を捨て、下積みを覚悟してまで国会議員を志したのか。

 

「13年前、子宮頸がんを発症して、片方の卵巣と子宮を摘出する手術を受けています。『出産は……女優業は……』と不安を抱えたまま、退院しました。

 

 しかし、そのとき心の支えになったのは、同じ病気と闘った人たちとの交流であり、それが子宮頸がんワクチンの無償化を訴える活動に繋がりました。

 

 当時、がん一般に関して、行政諸施策は進んでおらず、予防や治療、患者のケアなどが立ち遅れている現状が気になったんです。

 

 また同じころ父を介護した経験から、全国の介護施設の実態を調べて、高齢者介護の問題をめぐって、介護者も被介護者もさまざまな矛盾を感じていることを知りました。

 

 そんななかで、主張するだけではなく、がん対策や高齢者福祉の拡充に直接、関わっていきたいと思うようになりました。そのためには、政治家になるしかないと考えたのです」

 

 民主党政権下だった2010年当時でも、政界進出を夢見た三原氏には、野党に転落していた「自民党」での出馬しか考えられなかったという。それは自民党に対して「公約実現に対する責任感を持つ “責任政党” だ」と感じていたからだ。

 

 政界入り後、ほどなくして自民党は与党に返り咲き、安倍晋三元首相(67)による長期政権に突入。当時の三原氏はまさに政権の下働きだった。代表的な “事件” が、2019年6月に「老後2000万円問題」で国会が紛糾するなか、安倍元首相の問責決議案を提出した野党を「恥を知りなさい」と一喝したことだ。

 

 三原氏と安倍氏については “距離が近い” と見る向きも多い。一方で、安倍政権下では「桜を見る会」「森友・加計問題」「公文書改ざん」などの問題が噴出し、自民党が三原氏の言う “責任政党” としての資質を問われる場面も多かった。燻り続ける “疑惑” について単刀直入に尋ねると、驚きの回答が……。

 

「安倍元首相の周辺で国民に疑念を持たれるような出来事が続発しました。私は国民が疑問に思うことについては、わかってもらえるまで説明を尽くすべきだと考えています。

 

 私は自民党所属議員であることにこだわりを強く持っています。世論調査などを見ても、国民の多くは歴代政権の説明に納得していません。そうである以上は、誰が総理総裁であっても自民党が責任政党であり続けるために、国民に正しくお伝えするよう努力するべきです」

 

 自死した近畿財務局職員の家族からの訴訟を「認諾」で終了させるなど、岸田文雄首相(64)でも “弱腰” なこの問題にズバッと斬り込んだ。

 

「党女性局長は4期めになり、2012年総選挙で初当選したいわゆる “安倍チルドレン” よりも先輩議員になります。そろそろ “起ち上げる” 立場になったことは自覚しています」

 

 これからは「顔はやばいよ」から、自民党の “顔になる” ほうへーー。

 

( 週刊FLASH 2022年2月22日号 )

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