社会・政治社会・政治

旧統一教会、脱会者が告白する20年の苦しみ「母親への憎悪」「自分が無になる恐怖」「大変だった価値観の再構築」

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2022.09.01 11:00 最終更新日:2022.09.01 11:00

旧統一教会、脱会者が告白する20年の苦しみ「母親への憎悪」「自分が無になる恐怖」「大変だった価値観の再構築」

送検される山上徹也容疑者

 

 日本社会を動揺させている、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の高額献金や霊感商法などの被害の実態。経済破綻、家庭崩壊、進学の断念など信者とその家族がたどる悲惨な運命が次々と明らかになっているが、新たな被害を防ぐため、自らの体験を発信する元信者がいる。

 

 その1人である冠木結心さんは、教団用語では「信仰2世」と呼ばれる。それは、人生の途中で入信した親から生まれた子供の信者を指す。冠木さんの場合は、自身が高校2年生だった1992年に母親が入信し、母親のすすめから、ほぼ同時期に自らも入信した。

 

 

 歌手の桜田淳子ら日本の有名人が参加した「合同結婚式」から3年後の1995年、冠木さんは韓国人男性と合同結婚式に参加。その後、夫のDVに耐えかねて離婚。2002年、再び韓国人男性と合同結婚式を挙げた。

 

 2012年の教祖・文鮮明の死をきっかけに “洗脳” が解け、翌2013年、韓国から逃げるように帰国して脱会。夫とも離婚した。前夫との間にはそれぞれ1人ずつ娘がいる。

 

 冠木さんは、当初、脱会して日本に帰ればすべて解決すると思っていたが、そこからが本当の苦しみの始まりだったという。

 

「約20年間、私は統一教会に入信しており、脱会により私のなかの中心を占めていた価値観が崩れたわけです。そうすると、自分自身の価値観をもう一度作り直さなければならなくなります。

 

 普通の人は、子供から大人になる過程で、自分の価値観や思想を作り上げていくものですが、私たち2世はそれができなかったのです。

 

 私の場合、40歳の目前でしたし、価値観の再構築がいちばん大変でした。同時に、自分が無になってしまうような、これまでやってきたことすべてが台無しになってしまうような恐怖とも向き合わなければなりませんでした。

 

 カルト宗教というのは教祖の判断が絶対で、基本的に白か黒しかない。要は選択肢のない世界。でも、実際の世の中は、ほとんどグレーで成り立っている。自分と世の中の判断基準がまったく違うことにまずは戸惑いました。

 

 帰国後、日雇いの派遣で梱包の仕事をしていたとき、ミニスカートをはいてきた従業員がいました。なんでこの現場でそんな服装をするんだろうと思ったのですが、よく見るとひげが生えていました。統一教会では、LGBTの人たちを『サタンが憑りついている』としていたので、最初、私はどう受け止めていいかわからなかったんですね。

 

 それまでの価値観と衝突し、自分のなかでどう落とし前をつけようかということになる。そうした葛藤が、日常のいろんな場面で繰り返されました。

 

 何か悪いことが起こると、これはサタンのせいじゃないか、私が脱会したからこういうことが起こったんじゃないかという思いが、常日頃から湧いてくるわけです。そういうときは、また教会に戻っちゃおうかなという衝動に何度も駆られました。

 

 教会にいたときは、よくないことがあっても断食や水垢離をすることで清算された。でも信仰がなくなると、報われる手段もなくなり、どうすれば解決できるのかという不安に襲われるようになりました。

 

 そして日増しに強くなっていったのは、教会そして母親に対する怒りと憎しみの感情です。『私の人生と時間を返してほしい』『この道に引きずり込んだのはあなただ』という思いがどんどん大きくなっていきました」

 

 安倍晋三元首相を銃撃した山上徹也容疑者(41)も、教会と家族を犠牲にして信仰を続けた母親に対して、恨みを抱いていた。

 

「私もそうでしたが、やっぱり人は怒りに囚われるとなかなかそこから抜け出せないものだとつくづく感じます。教会から、こうされたああされた、母親が悪いといった負の感情は、一度感じ始めるとどんどん大きくなっていくわけです。

 

 もし彼に怒りを受け止めてくれる人がいたならば、きっとこの悲劇は起こらなかったと思います。当然、山上容疑者は自身の罪を償わなければなりません。ただ、彼がそうなってしまった過程については理解できます。それは、私たち脱会者も同じ感情の経路をたどっているからです」

 

 冠木さんはどのように、自身の負の感情と決別したのか。

 

「問題が特殊であることに加え、親類の反対を押し切って韓国に渡って10年間祖国を離れていたため、私に理解者は誰もいませんでした。その状況で、ふと踏切のそばにあった『命の電話』の看板を目にし、連絡したところ、ある心理療法士の先生を紹介してくださいました。

 

 先生は、福島の原子力事故の避難者の治療もおこなっていて、“行き場” を失った避難者のみなさんと私が重なるとおっしゃり、『世の中の人全員が敵でも、私だけはあなたの理解者だ』という言葉をかけてくださり、私のすべてを受け止めてくれました。

 

 数回にわたる治療で、先生はひたすら私の話を聞き続けていましたが、ついに最終回になったとき、こう指摘されたのです。『あなたは被害者だったけど、本当は “加害者” でもあったんだよ』『信仰の一環だったかもしれないけれど、知らず知らずのうちに伝道したりお金をとったりして他人を巻き込んでいたんだよ』と。

 

 それにハッとさせられました。今までは被害者だと嘆いてばかりだったけど、じつは自分は “加害者” でもあった。じゃあ世の中にどういう形で報いることができるか。

 

 それは、取材を受けたり、本を書いたり、大学で体験を語ったりしてカルトの問題を知ってもらい、新たな被害の抑止につなげることだと。そう思ったとき、前に進めました。

 

 先生がいてくれたおかげで、私は山上容疑者のように一線を越えることはなかったんだと思います。先生がすべてを受け止め、自分は “加害者” だったと認識させてくれたから、今こうやって事件を起こさずに生きている。もし誰もいなかったとしたら、どうなったかはわかりません」

( SmartFLASH )

続きを見る
12

今、あなたにおすすめの記事

社会・政治一覧をもっと見る