「もう一つ大きかったのは、母親と絶縁したことです。脱会後、私がもう二度と統一教会には戻らないという意思が固いとわかった母親は、今度は孫たちを “洗脳” しようとしました。
勉強机に教祖夫婦の写真を立てたり、毎日お祈りをさせたり、「教会以外の人と結婚したらダメよ」などと言い聞かせたりしていました。日本に戻った直後はお金もなく母と同居していた時期もありましたが、別居してからも孫たちを追いかけてきました。
このままでは子供たちが私の二の舞になると思い、縁を切る決断をしました。そして引っ越しをするとともに住民票に閲覧制限をかけ、私たちの居場所を探せないようにしました。
やっぱり自分の親ですから、絶縁するなんて本当はしたくないわけです。そのときは心が痛みましたが、今思うと、そうして本当によかった。その後、私の精神状態も劇的に回復しました」
カルトの被害者のために、社会には何が必要なのか。
「私は運よく理解者になってくれた心理療法士の先生にめぐり会いましたが、やっぱり受け皿がもっと必要です。
臨床心理士さんは世の中にたくさんいるけれど、宗教問題に詳しいカウンセラーは数えるほどしかいません。だから教育と研修をやって、そういう2世の子供たちがいるということをきちんと学んだカウンセラーをもっと増やすことが必要です。
また、児童虐待については教育委員会や学校の先生たちはすぐに対処してくれますが、宗教の問題になると『家族の問題でしょ』『信教の自由がね』などと言って逃げてきたと思います。先生たちもきちんと教育を受ける必要があります」
冠木さんは、2人の子供にはどのように接しているのだろうか。
「子供たちは、合同結婚式をした夫婦の間に生まれたので、いわゆる『祝福2世』です。『神の子』として扱われ、自動的に信者になりました。
ただ、韓国では生活が大変で仕事に忙しく、山の中で暮らしていたこともあって子供たちをなかなか教会に連れていけませんでした。また、当時の結婚生活に幸せを感じたことがなく、信仰に疑問を抱いていましたし、上の娘に『私は教会の人と結婚したくない、好きな人と結婚できないのはいや!』と言われたりしたので、子供たちに教会の教えを熱心に伝えようとは思いませんでした。
結果、形だけ信者という状態で、それが今となっては子供たちに幸いしました。 “洗脳” される前に脱会したので、葛藤に苦しむことはなかったと思います。
私は女手一つで育児をし、経済的にとても苦しかったので、父親のいる家庭に比べると娘たちに思いどおりにさせてやれなかったこともあったと思います。娘たちには、私のことはどうでもいいから、とにかく自分の人生を生き、楽しんでほしいと伝えています。2人とも今、私の味わえなかった学生生活を謳歌しています」
旧統一教会の霊感商法や合同結婚式が注目を浴びたにもかかわらず、問題が放置されてきたこの年月を、ジャーナリストの有田芳生氏は「失われた30年」と呼ぶ。
一方、冠木さんら被害者にとってそれは「苦しみの30年」だった。問題を放置してきた代償は大きいが、これを機に現在苦しむ被害者の存在を認識し、支えるとともに、次の被害を生まない施策につなげなければならない。
( SmartFLASH )