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皇室研究家・高森明勅氏が見たエリザベス女王と安倍元首相の国葬の相違点…「ニセモノの国葬になるくらいなら、岸田首相はやらないほうがよかった」
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2022.10.03 16:05 最終更新日:2022.10.03 16:32
10月3日開会された臨時国会でも、岸田文雄首相はこの問題にふれないわけにはいかなかったーー。
賛否渦巻くままおこなわれた9月27日の安倍晋三元首相の国葬。16億円を投じて東京・千代田区の日本武道館で開催された葬儀には、諸外国の首脳たちも多く訪れた。
会場内ではおごそかに式が執りおこなわれたが、一歩外に出ると、九段下の交差点は賛成派・反対派それぞれが罵声を浴びせ合う大混乱。安倍元首相の銃撃事件以降問われていた日本社会の“分断”を、まさに象徴するような一日となった。
長く皇室研究に携わり、昭和天皇の大喪の礼も実際に経験した皇室研究家の高森明勅氏は、今回の国葬をどう見たのかーー。
「私は国葬に実際に参列したわけではなく、各種の報道などから内容を知りましたが、印象に残ったのは天皇陛下の使者である勅使などがご臨席されたことと、菅(義偉)さんの弔事がよかったことくらいです。あとは、何も印象に残りませんでした」
高森氏は、奇しくも10日前である9月19日(現地)におこなわれたエリザベス女王の国葬との相違点を指摘する。
「イギリスの国葬は、EUからの離脱をはじめとする英国内の種々の分断を超えて、国葬の瞬間をもって『イギリスはひとつ』という光景を出現させたものでした。一方の日本の国葬は、政治的な思惑が見えすいたイベントを通して、分断を広げる結果に終わったと言わざるを得ません。岸田(文雄)さんは国葬について『故人に対する敬意と弔意を国全体として表す儀式である』という、定義としては満点の説明をされていましたが、この意味を理解しているかといわれれば甚だ疑問です。
それは、国会で丁寧に説明をせず、また同意を得ることもしなかったからです。『国全体として』というのであれば、国民の代表機関である国会での審議を飛ばすことはありえない。にもかかわらず、岸田さんは閣議決定だけで強行してしまいました。
その結果、反対の声が日に日に強まった。デモを計画したり、ひと昔前の左翼的な心情を抱えている人たちが、自分たちと世論が合致したという点で舞い上がってしまった。その結果、安倍さんの顔を模した射的ゲームのような愚行に繋がってしまったのでしょう。
さらに国葬にも関わらず、反対の世論を気にして地方自治体への弔旗掲揚の要請さえ控えた。これでは『国全体として』の葬儀だとは到底言えませんよね。つまりこれは、定義どおりの『本物の国葬』とすら言えないわけです」
本物の国葬を知るには、やはり昭和天皇崩御の際の大喪の礼に学ぶべきだったと、高森氏は指摘する。
「昭和天皇の大喪の礼では、国民はこぞって弔意を表しました。もちろん、当時も無関心な人や“反天皇制”の左翼的な連中もいましたが、少なくとも明確な反対派はあくまで一般国民から孤立した世界の話です。反対運動が日増しに強まるようなことはけっしてなく、むしろ国民が自粛しすぎて、今の上皇陛下が『自粛しすぎることは昭和天皇のお気持ちにも沿わない』と、早い時点から懸念を表明されたほど。まさに『国民統合の象徴』たる天皇への敬慕の気持ちが表われた、本物の国葬でした。私もその歴史的瞬間に立ち会いましたが、このときの情景は鮮やかに記憶しています。
皇室において、ご葬儀が『国の儀式』としておこなわれるのは、『天皇』と『上皇』の場合のみです。元首相とは『格』が違うと申し上げざるを得ませんが、同じ国葬である以上、それに準じた格式でやらなければなりません。それが無理なら、初めからやらなければいい。『大喪の礼』を国葬としてのあるべきモデルにするべきだったのではないでしょうか。今回、本物の国葬にならなかったのは、やはり岸田首相の致命的な判断ミスです」
国葬はやるべきだったのか、やるべきではなかったのか。それを考える前に、そもそも国葬とは何かということを我々は議論すべきだったのではないだろうか。
( SmartFLASH )