桐貴さんが初投稿した2日後、会見で後藤茂之厚労大臣(当時)が、投稿内容をめぐって「芸妓や舞妓の方々が適切な環境のもとで、ご活動いただくことが重要」との見解を示すなど、世間の反応は大きかった。だが、桐貴さんの訴えは、当初、京都の花街には届かなかったようだ。
桐貴さんとは別の花街の関係者が当時、本誌の取材にこう話している。
「投稿の翌日には各花街のお茶屋組合から、舞妓の飲酒はお茶屋内だけに限定するようにという “お知らせ” が配られたそうです。また、お茶屋さんから舞妓さんを管理している置屋さんに向け、個別取材には応じないように申し渡しもありました。
置屋の中には、当分のあいだ、舞妓を外出禁止にしたところもあったそうです。その際、『市駒が変なことを言っているから』だと申し送りをしています。つまり、市駒は反逆者なのだと印象づけをしたのです」
実際、桐貴さんは告発後、恐怖を感じる体験をしたと本誌に明かしている。
「投稿してからしばらくは、携帯電話の着信が鳴りやみませんでした。この携帯番号を知らないはずの、京都時代の関係者たちからもかかってくるんです。なかには『京都は怖いところだよ。(暴露して)危険じゃないか?』とか、『おとなしく家庭に引っこんでろ』とだけ言って切れる電話もあり、怖かったです」
しかし、未成年者である舞妓たちの実態が、桐貴さんを通じて明らかになるにつれ、花街にも変化の兆しが見えたという。前出の花街関係者は9月、本誌にこう語っている。
「すでに花街のひとつが、舞妓の飲酒を完全にやめています。また、同じ花街ですが、舞妓は22時までに置屋に帰るように徹底しているようです。
そもそも舞妓とは、芸妓を目指して修業する15歳から20歳までの女性のことをいいますから、仕込み(見習い)に入る娘が5年間いなければ、ゼロになってしまいます。ほかの花街もあとに続かざるを得ないでしょう」(前出・花街関係者)。
その変化を受け、桐貴さんも本誌に胸中を明かしている。
「舞妓の実態について、みなさんが真剣に捉えていただけたことは嬉しかったです。花街で、舞妓が大っぴらに飲酒をすすめられることは少なくなったと聞いています。
でも、長く続いた慣習はなかなか改善されません。口の堅い常連さんには、今までと同じ接待があるとも聞いています。根本的な解決が必要です」
伝統として続けられた悪習――。解決の糸口は見えてくるだろうか。
( SmartFLASH )