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ヒグマに食われた人骨は男なのか女なのか…残された謎の「SOS」とアニソンテープで捜査大迷走【大雪山SOS事件】

社会・政治 投稿日:2023.04.22 06:00FLASH編集部

ヒグマに食われた人骨は男なのか女なのか…残された謎の「SOS」とアニソンテープで捜査大迷走【大雪山SOS事件】

北海道にのみ生息するヒグマ

 

 北海道にのみ生息するヒグマ。北海道開拓の歴史は、この猛獣との戦いによって進展してきたと言ってもいいだろう。環境省の報告によれば、ヒグマによる死亡事故は、1980年以降15名。2008年の3名をピークに、数年おきに1〜2名が犠牲となっている。

 

 今回は、1989年に起きた、謎に満ち満ちた「大雪山SOS事件」を紹介しよう。

 

 

 この事件は、1989年(平成元年)7月24日、遭難者の捜索にあたっていた北海道警察のヘリコプターが、偶然、旭岳南麓で倒木を利用した「SOS」の文字を発見したことに端を発する。

 

 

 幸いにも救助された遭難者の男性は、この「SOS」の文字について「知らない」と断言した。そのため、別の遭難者がいる可能性が浮上し、新たに捜索隊が派遣された。

 

 すると、白骨化した遺体の一部とカセットテープが発見された。旭川医大の鑑定によると、人骨は左大腿骨、左頸骨、骨盤の一部で、形状から女性と判断され、ヒグマに襲われた形跡もあった。

 

 一方、テープには、若い男性の声が2分17秒にわたって録音されていた。

 

「SOS 助けてくれ 崖の上で身動きとれず 笹深く 上へは行けない ここから釣り上げてくれ」

 

 旭岳周辺では、当時3件の遭難が報告されていた。1つめは1989年4月、札幌から女満別に向かったまま行方不明となった3人乗りの小型機。

 

 2つめは、同年6月に行方不明となった東京都の男性(48)。そして3つめは、1984年(昭和59年)7月に黒岳から旭岳に縦走したまま行方不明となった、愛知県在住の岩村賢司(25)である(『山と渓谷』1989年10月号による)。

 

 岩村が遭難した現場は、旭岳山頂から南へ4キロ、標高1320メートルの湿地で、身の丈ほどの笹が生い茂り、またヒグマの生息地でもあったため、捜索は難航した。

 

 現場付近には直径90センチほどのマツの大株の穴があり、立木を立てかけるなど雨風を防ぐような工夫がされていた。この穴の中から、財布、免許証、印鑑、ノート、カメラ、昆虫図鑑、地図、時刻表などの遺留品35点が回収され、所持者は岩村と断定された。

 

 航空写真による撮影時期の比較などにより、岩村と女性はまったく別々に遭難し、偶然にも同じ場所で死亡したことがわかった。

 

 しかし、男性の遺体が発見されないことや、女性1人でたどりつくにはきわめて困難な場所であることから、ミステリアスな遭難事件として世間の注目を集めた。

 

 報道は過熱し、カセットテープに『超時空要塞マクロス』や『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の主題歌が録音されていたことから、「大雪山系旭岳にSOSを残した会社員の『ネクラな人生』」(『週刊文春』8月10日号)などと中傷まがいの報道もされた。

 

 事件現場近くはヒグマの巣窟で、「大雪山のケイコ」という雌グマのテリトリーも近く(前掲『週刊文春』)、30日に道警によっておこなわれた再捜索は3時間程度で打ち切りとなった。当時の朝日新聞は「真新しいヒグマの足跡が縦横にあり怖かった」(7月31日朝刊)との証言を掲載している。

 

 大雪山系で登山者がヒグマに襲われる事件は、ほとんど起きていないが、唯一、1949年(昭和24年)7月30日に人身事故が発生した記録がある。

 

 空知管内秩父別村の青年9名が、愛山渓温泉から旭岳山頂を目指したが、姿見の池に着いた頃には日が暮れかかり、一行のうち4名が引き返すことになった。しかし、下山途中でヒグマに遭遇し、吉本治夫(当時21歳)が襲われた。

 

 残り3名が身を潜めていると、午後9時すぎに登頂した5名が戻ってきたので、合流して夜が明けるのを待った。

 

 翌早朝、別の登山客が避難している8名を発見し、愛山渓温泉に下山。8月1日から捜索が始まり、第2展望台下のハイマツ地帯で頭と足、雪渓で胴体を発見した。

 

 このときは加害グマを取り逃がしたが、翌年5月に捕殺した。推定年齢14~15歳のオスで、凶悪グマとして剥製にされたという(門崎充昭・犬飼哲夫『新版ヒグマ』)。

 

 さて、冒頭のSOS事件は、1年半後の1991年3月になり、急転直下、解決を迎える。当初の鑑定結果が間違いで、女性と思われた遺骨は男性のものであり、岩村の単独遭難であると断定されたのだ。

 

《現場付近で見つかった頭がい骨と不明になっている男性登山者の顔写真とを、スーパーインポーズという鑑定方法によって精密に照合したところ、ぴたりと一致。そのうえ、人骨の調べで、当初はA型とされた血液型も、歯の部分などを調べ直したところ、この男性と同じO型と分かった》(朝日新聞1991年3月6日夕刊)

 

 京都市に住む父親は、「やっと息子を連れて帰れるという喜びと、ついに決定的な瞬間が来てしまったというさみしさがある」と語ったという――。

 

中山茂大
1969年、北海道生まれ。ノンフィクションライター。明治初期から戦中戦後まで70年あまりの地元紙を通読し、ヒグマ事件を抽出・データベース化。また市町村史、各地民話なども参照し、これらをもとに上梓した『神々の復讐 人喰いヒグマの北海道開拓史』(講談社)が話題に。

( SmartFLASH )

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