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「ほとんど家庭を顧みず」自民・森山選対委員長の在職25年表彰「涙の謝辞」に与野党超えて集まる感動【全文掲載】
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2023.04.28 15:38 最終更新日:2023.04.28 15:46
4月27日、衆院は本会議で、自民党の森山裕(ひろし)衆院議員を永年在職25年で表彰した。拍手で迎えられた森山氏は、壇上にのぼり謝辞を述べた。
森山氏は1975年、鹿児島市議に初当選。1998年、参院選で鹿児島選挙区から出馬し、国政に。2004年に衆院にくら替えし、2015年に農林水産相、2017年に国対委員長などを歴任した。現在は選対委員長を務めている。
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「このたび、院議をもって永年在職議員表彰をたまわり、心よりあつく御礼を申し上げます。とりわけ地方議員時代から数えて48年間、苦しいときも応援していただいた地元のみなさん。ほとんど家庭を顧みなかった私の議員活動を支えてくれた家族に、感謝を伝えたいと思います。
戦局が厳しさを増す昭和20(1945)年4月8日、鹿児島が大空襲を受けた日に、鹿児島県鹿屋(かのや)市の防空壕のなかで生まれました。実家は農業と新聞販売店を営んでおり、小中学生のころは朝6時から眠い目をこすり、錦江湾に浮かぶ桜島に一礼をし、自転車で新聞配達をする毎日でした。
中学校卒業後、つらい農業はやりたくないと思い、鹿児島市の会社に就職しました。会社の理解があったおかげで、働きながら夜間課程に通うことができました。30歳で鹿児島市議会議員に初当選をし、参議院(議員)として初めて国会議員のバッジをいただいたのは53歳。この選挙では地方分権、地域主権を掲げました。23年間の地方議員生活で、日本を支えているのは地方であり、第一次産業であると実感をしたからです。
平成27(2015)年、TPPが政府間交渉で大筋、合意に達した2日後、農家の方々からは不安の声が上がるなかで、農林水産大臣を拝命しました。大臣室の椅子に座り目に浮かんだのは、郷里の先輩や後輩たちの姿でした。今日も汗水を流して田畑を耕し家畜を育て、国を支えている。農業から逃げた私は政治家としてその奮闘に答えなければならない。現場主義を自ら誓い、積極的に現場をまわりながらTPPの説明を尽くし、安全安心な日本の農業水産業は強いこと、若者が誇りをもって働ける産業に育てることを訴えました。
『政(まつりごと)の大体(だいたい)は、文を興し、武を振るい、農を励ますの三つにあり』。教育、国の守り、そして農業を大事にすることが政治の根幹であるという、郷里の偉人・西郷南洲翁(隆盛)の言葉を胸に刻んでいます。
食料安全保障の重要性がいまほど高まっている時代はなく、今後もしっかり取り組んでまいります。これまでを振り返り、ひとつだけ誇れることがあるとすれば、政治活動に誠実に取り組んできたことです。多くの同僚に支えられ、自民党の国会対策委員長を、歴代最長の1534日間、務めさせていただきましたが、法案審議ではゆずれない一線を守りつつ、野党のみなさんの意見にもできるかぎり耳を傾け、合意形成をはかってきたつもりです。
小中学校のころ、新聞配達中に『がんばっているね』『学校に遅れないようにね』と優しく声をかけてくれた地域のみなさん。夜間課程に通わさせてくださり、学ぶことができる幸せを教えてくださった勤務先の方々、農業を守り続ける郷里の仲間。政治活動の原点である市議会の先輩方。みなさんを思い出すたびに、これからもまっすぐに前へという気持ちに立ち返るのであります。今後も国民と国会のため引き続き誠実にまい進することをお誓いを申し上げ、御礼のごあいさつといたします。このたびは、まことにありがとうございました」
声を震わせ、涙を拭いながら6分ほど続いた演説が終わると、議場は与野党を超えた拍手に包まれた。
国民民主党の玉木雄一郎代表は4月28日、自身のTwitterにこう書きこんだ。
《森山裕先生の在職25年表彰の挨拶には感動しました。新聞配達をしていた幼少期、働きながら夜間高校に通った話、そして家族への労い。農林水産省委員会で与野党の筆頭理事としてTPPや農協改革を議論した際も立場の違いを超え誠実に対応してくれました。おめでとうございます》
SNSでは森山氏の演説動画がアップされ、称賛する声が相次いだ。
《あかん、わいも泣けてきたわ》
《議場全体からの万雷の拍手に森山さんの人柄が現れている…》
《郵政で一度は党を追い出されてたりしたり 苦労したんだよね》
《人に歴史あり、だねえ》
森山氏の表彰の前には、補選で当選した岸信千世氏ら4人の新議員が紹介され、こちらも拍手で迎えられた。4人の胸にも、森山氏の演説は響いたに違いない。
( SmartFLASH )