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特殊詐欺「ルフィ事件」元「掛け子」受刑者の手記(1)「1年で1億円稼ぎ足を洗う」思いを抱きフィリピンに“上がった”日

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2024.03.18 06:00 最終更新日:2024.03.18 11:19

特殊詐欺「ルフィ事件」元「掛け子」受刑者の手記(1)「1年で1億円稼ぎ足を洗う」思いを抱きフィリピンに“上がった”日

ルフィの部下「モリ」氏が獄中から寄せた手記

 

 フィリピンを拠点に、4人の指示役をトップとする特殊詐欺グループが引き起こした「ルフィ事件」。同グループが関与した詐欺被害は、2018年11月~2020年6月で、60億円を超えるとされる。また、摘発された4人が現地収容所から指示し、2022年から2023年にかけて相次いだ広域強盗は、日本社会を震撼させた。

 

 2019年11月、4人の下で働いていた詐欺電話の「掛け子」36人が拘束され、日本に送還。そのうちのひとりで、有罪判決を受けて現在、服役中の「モリ」氏(仮名・30代)が、本誌へ手記を寄せた。その手記を、5回にわたって掲載する(手記中の名前はすべて仮名)。

 

 第1回は、2019年5月、フィリピンに渡った当時を振り返る。

 

 

 小学校の低学年のとき、両親が離婚した。離婚の理由はわからない。それから俺は母子家庭で、母親と2人で生活していた。でも、俺みたいな犯罪者にありがちな、虐待されたりした経験はない。離婚していても、両親はともに愛をもって接してくれていたと思う。

 

 小中学校の思い出といえば、サッカーの記憶しかないぐらいサッカー漬けの毎日だった。でも高校2年のとき、怪我をしてしまい、サッカーを断念してしまった。それで、高校も辞めてしまった。

 

 18歳になる前、俺は田舎を出て「ブラック」に近いグレーなことばかりをしていた。まわりにいる人間も、そんなやつばかりのつき合いになった。詐欺グループに加担したのも、ある意味、自然の成り行きだったのかもしれない。5年間、続けていたシノギが下火になってしまい、ブラックビジネス専門のブローカーの知人から紹介を受け、このフィリピンの仕事の道に入った。

 

 俺が所属したのは、「麦わらの一味(後に、幹部が漫画『ONE PIECE』の主人公「ルフィ」を名乗っていたことが判明)」といわれる集団だ。ここに入るのに王道なのは、リクルーターと呼ばれる、おもにフィリピンにいる勧誘者がSNSで募集をかけ、そこに応募すること。ひどい場合だと、リゾートバイトといううたい文句に誘われて、いざフィリピンに来てみたら、詐欺の掛け子の仕事だったということがある。その場で辞めますと言っても「実家の住所を押さえてある」などと脅されて、パスポートも取り上げられ、無理やりやらされている人もけっこういた。

 

 ほかには、もともと日本で受け子をしていて、絶対に逮捕されないと言われていたにもかかわらず、「いつ逮捕されてもおかしくない状況だから、海外に逃げるしかない。海外なら日本の警察の捜査権が及ばないから、逮捕されることはない」などと言われ、フィリピンに行くケースも多い。どういう理由かわからないが、日本からフィリピンに行くことを“上がってくる”という言い方をしていた。

 

 フィリピンに行く前は、1年で1億円貯めて、帰国したらブラックから足を洗おうと思っていた。そんな思いを抱き、フィリピンに“上がった”。俺の紹介者はフィリピンにいない人間だったので、フィリピンにいる適当なリクルーターが俺の紹介者ということになり、空港まで迎えに来た。フィリピンに上がってきた掛け子は、ひとりにつきひとり、紹介者がつく。現地の立ち回り先などを教えてくれる世話役だ。この掛け子の成績の5%が紹介者に入る仕組みなので、世話役はわりと親身に接してくれる。

 

 俺についた紹介者は「クボ」。空港まで来て「初めまして、クボです。よろしくお願いします」とあいさつをかわした。見た目はぜんぜん反社系に見えず、どちらかというと好青年だ。歳も20代半ばぐらいか。「お疲れさまです。腹、減ってないですか? 飯、食いに行きましょう」。そう言うと、マニラ空港からタクシーで20分くらい移動して、レストランに連れて行かれた。

 

 マニラのマカティ地区にある、ジャパニーズレストラン「秀吉」に入る。カウンター10席、テーブル6卓ぐらいの大きさの店だ。「サーモンの刺身とか、うまいっすよ」。そうクボに言われ、サーモン刺し、揚げ出し豆腐などを頼んだ。「フィリピンの刺身とか、大丈夫か?」と思いつつ、食ってみたらぜんぜんいける! 飯を食い終わり「飲みに行きますか」と誘われ、マニラのマラテ地区に移動し、KTVへ。KTVとは、日本でいうキャバクラみたいなところだ。俺はキャバクラや風俗にはまったく興味がないが、成り行きで行くことになった。

 

「イラッシャイマセー」。テーブルに案内されるが、クボは常連らしく、指名した女が席に着いた。「ハジメマシテ、ユキデス。オニイサンハドンナコガスキデスカ?」。そう聞かれると、クボは「いいよ、ショーアップして」と言う。ショーアップってなんだと思っていたら、俺の席のまわりに20人ぐらいのお嬢が集まってきた。どういうことかと思ったら、このなかから選べということらしい。なるほどそういう仕組みなんだね。ブスからべっぴんまで、十人十色。マジでどうでもよかったので、クボに「ユキちゃんの友達とかいたら、その子でいいですよ~」と言うと、クボが指名した女のコのいとこだという、サクラというフィリピン人が俺の席に加わった。片言の日本語は30%ぐらい伝わる。あとは、英語やボディーランゲージで補って、どうにか会話は成り立った。

 

 フィリピンでは義務教育を終えていれば、英語は話せるはず。タガログ語に続き英語は第2公用語といってもいい。とはいえ、彼女は英語はほぼ話せないし、日本語も伝わらない。コミュニケーションなど取れないまま解散になった。外国に来たんだなあとあらためて感じた。

 

 空港を出たときには感じなかったが、タクシーでマカティに降りた瞬間、生ごみのような臭いが町中からした。暖かい風に乗り、腐敗臭が鼻につく。日本ではまず味わえない独特の空気だ。これらのカルチャーショックな出来事は、今後、起こるさまざまな出来事に比べれば屁でもない。自分がいかに井の中の蛙だということを思い知ることになる。ともあれ、この日はこれで切り上げ、近くの「ポップイン」というフィリピンのチェーンのビジネスホテルで宿を取ってもらう。クボは、歯磨きはコンビニで水を買い、それを使うよう勧めてきた。フィリピンの水道水は塩素を強く含み、初心者は体内に入ると腹を壊すらしい。

 

 移動の疲れもあり、チェックイン後、シャワーを浴びてすぐに寝た。フィリピンと日本の時差は1時間しかないので、時差ボケにはならなかったが、あまり眠れなかった。

 

 翌朝、起きたらクボからテレグラムでメッセージが入っていた。同じホテルに、俺と同期にあたる掛け子がいるということで、連絡先を教えてもらい、コンタクトを取った。「初めまして、モリです。クボさんから連絡先を聞きました。ハヤシさんですよね。暇なんで、よかったらホテルの喫煙所で話しませんか?」。喫煙所に行ったら、ハヤシらしき日本人が待っていた。そこで、お互いのこれまでの経緯を軽く話し合った。ハヤシは20代半ばぐらいの好青年。半グレとは縁がなさそうなやつだ。金に困り、ツイッターで「運び」の案件に応募したが、保証金15万円だけ取られ、バックレられたという。保証金詐欺だ。詐欺に遭い、途方に暮れていたところ、SNSの応募を経て「麦わらの一味」に加わった。

 

 ちなみに「運び」とは、薬物やチャカ(拳銃)、ときには人を、依頼された場所へ文字どおり運ぶ仕事だ。しかしこの運びの仕事は、SNSで募集されている案件は、ほとんどが保証金詐欺だ。そもそも、初めて応募してきた人間に、そんな仕事を与えるはずもない。信用第一なのだ。

 

 お互い、日用品などほとんど持って来ずにフィリピンに来ていたので、散歩がてら、近くのショッピングモールへ買い物に行った。フィリピンはショッピングモールだらけだ。

 

 俺が泊まっていたホテルの5km圏内に、少なくとも10カ所のモールがあった。ホテルから歩いて5分ぐらいのところに、「ロビンソン」というフィリピンで大手のショッピングモールがある。そこへ行くまで、たかだか200~300mの間に、5人ぐらいの子どもに金を求められた。10歳以下の子どもだ。前日、クボに「子どもが来ても金を渡すな」と言われていた。彼らにはネットワークがあり、お互い助け合いながら生きている。一度、金を渡すと情報が行き渡り、次から次に子どもが来て、最後はひったくりに遭ったりするらしい。でも、そのときはそんな危機感はない。5歳ぐらいの少女が、紙で作った花を10ペソで売っていたので、ひとつ買ってあげた。100ペソをあげて、お釣りはもらわなかった。すると、次から次に子どもたちが群がってくる。「マネープリーズ、マネープリーズ」といって、まるでゾンビのように湧いてくる。恐ろしいカルチャーショックを受けた。

 

 モール内にあるカレーハウス「CoCo壱番屋」でカレーを食べると、安心した。これから始まるフィリピンでの生活はどうなるのか。想像もつかない大きな渦に巻き込まれていくことになる。

( SmartFLASH )

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