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特殊詐欺「ルフィ事件」元「掛け子」受刑者の手記(4)日本では考えられない「収容所」の1年8カ月「本当にヤバいところに来てしまった」

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2024.03.21 06:00 最終更新日:2024.03.21 06:00

特殊詐欺「ルフィ事件」元「掛け子」受刑者の手記(4)日本では考えられない「収容所」の1年8カ月「本当にヤバいところに来てしまった」

ルフィの部下「モリ」氏が獄中から寄せた手記

 

 フィリピンを拠点に、4人の指示役をトップとする特殊詐欺グループが引き起こした「ルフィ事件」。同グループが関与した詐欺被害は、2018年11月~2020年6月で、60億円を超えるとされる。また、摘発された4人が現地収容所から指示し、2022年から2023年にかけて相次いだ広域強盗は、日本社会を震撼させた。

 

 2019年11月、4人の下で働いていた詐欺電話の「掛け子」36人が拘束され、日本に送還。そのうちのひとりで、有罪判決を受けて現在、服役中の「モリ」氏(仮名・30代)が、本誌へ手記を寄せた。その手記を、5回にわたって掲載する(手記中の名前はすべて仮名)。

 

 第4回は、フィリピンで拘束された後に収容所で過ごした日々、ルフィが囚人たちを支配する様子をつづる。

 

 

 マニラで俺は、コンドミニアムの部屋を借りていた。荷物は全部そこにある。ビクータン収容所に入れられた俺らは着替えの服がなく、金もほぼ全員が押収されていた。だが、何人かが金を隠し持っていたので、その金をかき集めて、36人全員の下着とTシャツを売店で買った。日本では考えられないが、ビクータン収容所には、収容者が運営している売店が2つと、『サリサリストア』というフィリピン独自の売店があった。ここにはタバコや食品、日用品などがあり、コンビニみたいだ。食事は1日3回、支給された。

 

 朝は、バターロールの味をすごく薄くしたパンに、コーヒーが出る。だが、このコーヒーはコーヒーじゃなかった。俺がコーヒーを飲んでいたら、日本人収容者のミヤザワさんというじいさんが忠告してくれた。「それ、飲まねーほうがいいぞ、体に悪いから」という。「えっ、コーヒーじゃないんですか?」。「それはな、米を焦がした奴にお湯を混ぜただけだから」。マジか、フィリピンではそんなもの飲ますんだ。あきれかえった。

 

 昼は、ライスに、よくわからない『アドボ』と呼ばれるフィリピン料理だ。日本人の口に合う代物ではなかった。本物のアドボはけっこううまい。だがこれは偽物だ。夜も同じく、ライスにアドボだった。

 

 フィリピンで借りていたコンドミニアムの部屋は、俺はなるべく日本と同じように清潔にしていた。なので、ビクータンに来たときの印象はめちゃくちゃ残った。シャワーとトイレは同じ場所。当然のように水しか出ない。便器には便座がない。トイレットペーパーもないから、ケツは手で拭くのがデフォ(普通)だ。歯磨きや洗顔などもフィリピン産の塩素。たっぷりの水道水を使う。本当にヤバいところに来てしまったと思った。

 

 タケイさんという50代の日本人で、ビクータンに2年ほどいるという人に聞いたところ、ネズミに足を噛まれ、そこからバイ菌が入り、足を切断した日本人がいたという。怖いところだ。

 

 俺らが入ったとき、日本人は6人だった。だが、俺らが来て日本人は一気に42人。ビクータンのシェア率はナンバー3になった。ちなみにナンバー1は中国人で、400人中200人。次が韓国人で50人ぐらいだ。

 

 中でのコミュニケーションは英語で取り合う。韓国人はほぼ全員、英語が通じる。でも、中国人は1割ぐらい。ほかにはアメリカ、カナダ、コロンビア、ロシア、オーストラリア、ニュージーランド、ルーマニア、イギリス、ブルガリア、ベトナム、ナイジェリア、カメルーン、リベリア、バングラデシュ、マレーシア、インド、パキスタン、イラン。多種多様な国の集まりだ。

 

 ビクータンでは賄賂を使えば携帯を使えた。タケイさんから携帯を借り、外のフィリピン人に頼んで俺の部屋の荷物や金を取りに行ってもらい、受け取ることができた。配給されるご飯など食えたもんじゃない。韓国人が作るメシを、金を払って食うことにした。ここでは、食材を買い込んで料理することもできるのだ。冷蔵庫、冷凍庫、包丁、まな板、炊飯ジャー、フライヤー、ガスコンロなど、なんでもあった。おかげでいろんな国の飯を食ったが、韓国料理がいちばん口に合った。中で食う中華料理は、日本で食べるそれとはぜんぜん違うことに驚いた。ラーメンにはチャーシューもないし、メンマもない。収容所の中だから当たり前なのかもしれないが。インド人が作るインドカレーはむちゃくちゃ辛い。アフリカのグループは、ジャガイモを潰してこねたものを毎日食っている。図らずも、いろんな国の食事に出会えた。

 

 最初のうちはみんな金がなかったので、ダルマが全員分の飯を数日、食わせていたが、それを口実に、飯代の倍以上の金額やベッド代など、わけの分からない請求をしてきた。我々と一緒に捕まったヒライは、ダルマの請求に応じ続け、金を払い続けていた。このとき、ヒライはルフィと連絡を取り、最低限の全員分の生活費をもらっていたが、その金はダルマの懐ろに入り続けていた。俺ら掛け子グループのリーダーだったヒライだが、ダルマに屈してほぼ言いなりだ。俺は早い段階で見切りをつけ、単独行動をすることにした。

 

 そして、2019年12月のこと。新しい日本人が収容されてきた。キヨトである。彼は、年末をマカオで過ごすためにフィリピンを離れようとして、拘束された。

 

 キヨトはコミュ力が高い。すぐに、ビクータンの中で仲間を増やした。金も持ってきていたので、金のない奴らは彼にすり寄っていく。何人かは彼の子分のようになった。キヨトと話すと、同じ組織の人間だとわかった。ルフィとは地元・札幌の同級生らしい。薬物中毒らしく、ビクータンでは覚醒剤も手に入るので、すぐに手に入れていた。彼は、俺らと同じ送還予定だったが、その前日の夜中にも覚醒剤を打ち込んでいた。

 

 キヨトは痛風持ち。歩くときは足を引きずっていた。飯もぜんぜん食べないのに、あんなに太れるのが不思議だ。キヨトは後にダルマと手を組み、やりたい放題をやっていた。

 

 収容所の中では髪が邪魔だ。アメリカ人が持っていたバリカンを借りて坊主にしてもらった。フィリピンはとにかく暑い。1日の大半は上半身裸で過ごし、外で筋トレするときにはTシャツを着ていた。許可をもらえば、ベンチプレスなどの器具を使用できた。

 

 ビクータンでは、携帯電話を手に入れることができた。だが、ダルマとヒライが介入してきて、俺らに携帯を使わせないといってくる。ヒライは、ビクータンから出られる手続きをしているとルフィから聞かされ、それを信じていた。俺らは携帯で日本側とコンタクトを取り、ビクータンから出られるよう働きかけていた。だが、あれだけニュースになっている事件だ。出られるわけない。

 

 そうこうしていると、2020年2月末、18人が先に日本に送還されたのだ。先発の18人に俺は入らなかったが、ようやく次の週には、俺たちも日本に送還されることになった。やっとだ。ところが、そんなタイミングでコロナ騒動が勃発してしまった。飛行機が飛ばなくなってしまったのだ。まさか、それから1年5カ月もの間、日本に帰れず、ビクータンで過ごすことになるとは思ってもみなかった。残された18人は、絶望に近い感じになった。

 

 3月以降、ヒライはダルマとキヨトの言いなりになり、18人のほとんどはダルマたちの言いなりになった。それでも、俺らはそれぞれのコミュニティを作るようにして一線を画した。ダルマたちについた奴らは、ルフィがビクータンでやっていることと同じように、また掛け子の仕事をさせられていた。

 

 俺はそんな奴らが嫌いだった。向こうも、こちらには協力的じゃない。奴らは職員に賄賂を渡して、俺の部屋にガサを入れて金とか携帯を取らせようとしたりした。俺は逆に、ダルマらと同じ部屋にいた韓国人のミンさんと協力し、対抗した。ミンさんは韓国人詐欺グループのリーダーで、4年ほどビクータンにいる。イケメンで優しいが、キレるとクレイジーになる。日本の大学で日本語を学んだこともあったので、ミンさんとは日本語で会話できた。彼もダルマにはムカついていたからだ。対抗するには、協力して日本のマスコミにリークして、報道してもらうのだ。

 

 キヨトがシャブをやっている様子、ダルマが日本人に焼きを入れている様子、部屋の中で詐欺の電話をしている様子、それらを撮影したものを日本のマスコミに流し、テレビでも取り上げられた。それによって所長がクビになり、ダルマを隔離することに成功した。

 

 ビクータンの中で俺は、ミンさんから仕事をもらった。携帯を捌いたり、タバコを捌いてしのいでいた。日本の入管では金がなくても普通に生活できるが、ビクータンではそうはいかない。水を飲むのにも金がかかる。自分のベッド、3度の飯、携帯電話、娯楽費などいろいろかかる。月に2万ペソあればストレスなく生活できるだろう。寝る時間や起きる時間は完全に自由で、点呼もない。金さえあれば刑務所より断然いい生活ができる。だが、前に進むことはできない。日本で逮捕されていれば、未決の収容期間も懲役の期間に加算される。だが、海外で収容されている期間は何もつかない。フィリピンで拘束された1年8カ月は、完全に無駄な時間でしかなかった。

( SmartFLASH )

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