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【袴田事件】死刑確定から44年で無罪に!いま明らかになる3つの謎…事件を追い続けたジャーナリストが指摘する “真犯人” の姿

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2024.11.07 14:35 最終更新日:2024.11.08 14:35

【袴田事件】死刑確定から44年で無罪に!いま明らかになる3つの謎…事件を追い続けたジャーナリストが指摘する “真犯人” の姿

無罪確定後の袴田巌さん(写真:AP/アフロ)

 

「主文、被告人は無罪」

 

 2024年9月26日、「袴田事件」再審の公判で、静岡地裁の國井恒志裁判長がそう言い渡すと、傍聴席からどよめきと拍手が湧き起こった。そして、10月9日、静岡地検が控訴を断念したことで、“死刑囚” 袴田巌さんの無罪が確定した。

 

 事件発生から58年、死刑が確定してから44年が経過し、現在、袴田さんは88歳。日本最大の冤罪事件といえる袴田事件とは、いったい何だったのか。

 

「1966年6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の味噌製造会社『こがね味噌』の専務・橋本藤雄さん宅が全焼し、焼け跡から一家4人の遺体が見つかりました。

 

 遺体には刃物で刺した傷が多数あり、会社の売上金が入った袋が奪われた疑いがあるため、静岡県警は強盗殺人・放火事件として捜査本部を設置。同年8月18日、元プロボクサーで同社従業員の袴田巌さんを逮捕しました。

 

 2年後の1968年、静岡地裁で死刑判決が出て、1976年、東京高裁が控訴棄却。1980年、最高裁で袴田さんの死刑が確定しました。

 

 一連の流れに疑問を持つ人も多く、1981年、再審請求されますが1994年に棄却。2008年に新証拠とともに第2次再審請求がおこなわれ、2014年に静岡地裁が再審を開始しました。その際、拘留の停止が決まり、袴田さんは48年ぶりに釈放されました」(事件担当記者)

 

 

 再審開始から10年――。

 

 みそタンクから見つかり決定的な証拠とされた5点の衣類について、今回の判決は「捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、タンク内に隠匿された」と捏造が断定された。

 

 さらに、袴田さんの「自白」を記録した調書についても、「肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取調べによって作成され、実質的に捏造されたもの」とされた。つまり、「袴田事件」は捜査当局によってでっち上げられた冤罪事件だと改めて証明された。

 

 そんな袴田事件を追い続けたジャーナリストがいる。藤原聡氏だ。“世紀の冤罪事件” の全貌に迫った藤原氏へのインタビューで、袴田事件の真相に迫る。

 

■なぜ袴田さんは「自白」に追い込まれたのか

 

 この冤罪事件では、当初から袴田さんの「自白」が最大の証拠とされてきた。では、なぜ袴田さんは「自白」に追い込まれたのだろうか。鍵となるのが、伝説の「拷問王」の存在だ。

 

「静岡県では、幸浦事件(1948年)、二俣事件(1950年)、島田事件(1954年)と、死刑の冤罪事件が3件続いて起きています。島田事件で死刑確定後、再審無罪となった赤堀政夫さんは、上申書で、警察官から殴る蹴るの暴力を受け、さらに、16時間も便所に行けず、精神的に追い詰められていく様子を訴えています」(以下「」内は藤原氏)

 

 この島田事件の捜査主任が、天竜署次長だった羽切平一警部だ。この警部が袴田さんの取り調べに途中参加してから、自白の強要がどんどん過激になっていく。

 

「袴田さんもトイレに行かせてもらえず、取調室に便器を運んできて『部屋の隅でやれ』と言われたのです。のちに袴田さんは、1日15~16時間取り調べを受けたことや棍棒で殴られたことなどを、手記に綴っています。羽切氏は、赤堀さんを自白に追い込んだのと同じ手法で、袴田さんも追い込んだのです」

 

 藤原氏は、ここで伝説の “拷問王” の名をあげた。

 

「幸浦事件、二俣事件、そして無期懲役から無罪になった小島(おじま)事件(1950年)の捜査を指揮し、島田事件にも途中から捜査に加わったのが、“拷問王” と呼ばれた紅林麻雄警部補です。島田事件の捜査主任だった羽切氏は、幸浦事件当時は紅林警部補の直属の部下で、ともに捜査にあたっています」

 

 難事件を次々と解決する「名刑事」ともてはやされた紅林警部補は、二俣事件、幸浦事件で死刑判決が相次いで破棄されると、一転して “拷問王” や “冤罪王” と呼ばれるようになり、左遷された。静岡県で相次いだ冤罪事件の裏には、きわめて残虐な捜査方法があったのだ。

 

■なぜ最高裁は死刑判決を出したのか

 

 当初から袴田さんの冤罪がささやかれていたにもかかわらず、なぜ最高裁で死刑判決が出たのか。1980年、最高裁で死刑が確定するが、その判断は上席調査官の “思い込み” によるものだったのではないかと、藤原氏は指摘する。

 

「袴田さんの事件を担当したのは、第一調査官室の渡部保夫上席調査官でした。渡部氏は、東京地裁、札幌高裁などで判事を務め、多くの無罪判決を出したことで知られています。

 

 当時、渡部調査官の同僚だった木谷明調査官が、私の取材に対し、第一調査官室でのやりとりを振り返り、次のような事実を明かしています」

 

 袴田さんの裁判記録を読んでいた渡部調査官は、みそタンクから見つかった衣類5点の写真を見て、「警察がこんな大がかりな捏造をすると思いますか」と木谷調査官に話しかけた。そして、「木谷さん、この事件は有罪ですよ。もし無罪だったら、私は首を差し出します」と断言したという。

 

「渡部調査官は、『警察が捏造なんてするはずがない、だから袴田さんは有罪だ』と、頭から決め込んでいたのではないでしょうか。

 

 最高裁には毎年約1万の案件が寄せられますが、それを定数15人だけで審理するのは不可能です。そのため、実際には調査官が資料を読み、判決文の草案とともに、裁判官に報告書を出すんです。

 

 判決は『上告理由に当たらない』『事実誤認はない』といった決まり文句が並ぶ “門前払い” の内容となりました。十数年にわたって袴田さんが無罪を求め続けた訴えは、わずか数行の判決文で退けられ、死刑判決が確定したのです」

 

 冤罪は、1人の調査官の思い込みが生んだ可能性が高いのだ。

 

■真犯人はどこにいるのか

 

 袴田さんの無罪は確定したが、では、真犯人は誰なのか。いまだに真犯人に結びつく情報は出ていない。だが、藤原氏が静岡県警の捜査記録を読み返した結果、“有力な容疑者” が浮かび上がったという。これが、もっとも注目すべき新事実だ。

 

「じつは、『こがね味噌』会計係のT氏はバーやキャバレーで豪遊し、賭博にも手を出した結果、借金が100万円以上に膨らんでいたんです。

 

 借金で首が回らなくなったT氏は、広域暴力団幹部のI組員らと共謀して、違法な花札賭博をしていたため、賭博容疑で県警に逮捕されました。T氏が逮捕されたのは、袴田さんが逮捕された2日後でした。その後の取り調べで、T氏が会社の業務費100万円を横領していたことも明らかになりました。

 

 しかし、奇妙なことに、共謀して違法賭博をしていたI組員について、捜査記録に何も書かれていないのです。

 

 被害者の橋本さんについては、『取引客などと清水市内、静岡市内のバー、キャバレー、飲食店等への出入りが激しく、その店の数は60数軒』と捜査記録にあります。そうした歓楽街を縄張りにしていたI組員と、当然、接触があったはずです」

 

 その後、タレコミが舞い込む。このI組員が、事件前に被害者である橋本さんの自宅を頻繁に訪れていたという情報が、後年、弁護団にもたらされた。弁護団事務局長の小川秀世氏が、藤原氏に次のように証言している。

 

「I組員の元運転手が、『袴田事件が起きる前、事件現場となった橋本さん宅に何度もIを連れていった』と話したそうです。また、橋本さん宅に入ったI組員は、運転手を待たせたまま長時間出てこないこともあったそうです。

 

 つまり、I組員が橋本さんと面識があったことは間違いありません。ただ、I組員についての捜査記録はないので、警察が表に出していないことも考えられます」

 

 藤原氏は、犯行動機を怨恨とみている。

 

「その理由は、事件現場の、猟奇的ともいえる凄惨さからです。橋本さんのほか、妻、次女、長男の遺体に合計40カ所を超える刺し傷が遺されました。

 

 強盗が目的であれば、心臓を一突きするはずです。遺体に多くの刺し傷が遺されているのは、致命傷にはならない程度に、いたぶるように何度も刺したと考えられる。

 

 司法解剖の結果、橋本さん以外の3人の気管支から “すす” が検出されていますが、生きているうちに火をつけて焼き殺したことになる。怨恨以外には考えられません。

 

 そして、複数犯の可能性が高い。4人を殺すのは、単独犯では不可能でしょう」

 

 藤原氏によれば、小川弁護士は「警察が真犯人を隠そうとしたとも考えられる」と話しているという。袴田さんの無罪は確定しても、真犯人が捜査の対象にすらなっていないとしたら、あまりにやりきれない――。

 

 現在、袴田巌さんは、浜松市の4階建てマンション最上階で、姉のひで子さんと2人で暮らしている。今年2月、そこに “新しい家族” が加わったという。

 

「茶系長毛の猫・ルビーと、白黒の猫・殿です。袴田さんの支援者が、誕生日にプレゼントしたものです。袴田さんは猫に接していると、表情が穏やかになります。かわいくてしょうがないのでしょう。

 

 袴田さんは、外出したときに猫のエサを買うようになり、夜遅くなると、『猫がおなかをすかせている。パン、あげてちょうだい』と頼むこともあるといいます」

 

 58年の想像を絶する辛苦の日々から、ようやく平凡な幸せを取り戻した “姉と弟”。事件を追い続けて来た藤原氏は、「その幸せが1日でも長く続くように」と、心から願っている。

 

藤原 聡
ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部卒業後、共同通信社に入社。社会部デスク、長崎支局長などを経て編集委員。著書・共著に、『死刑捏造──松山事件・尊厳かけた戦いの末に』(筑摩書房)のほか、『戦後史の決定的瞬間』(ちくま新書)、『ドキュメント大気汚染』(筑摩書房)、『アジア戦時留学生』(共同通信社)など。世紀の冤罪事件の全貌を描いた『姉と弟 捏造の闇「袴田事件」の58年』は2024年11月8日発売

( SmartFLASH )

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