
自宅の跡地に佇む林氏(長男)。2000年に放火のため全焼したが、壁の落書きを消した跡がいまも残る(写真・木村哲夫)
1998年7月、和歌山市内での夏祭りで提供されたカレーに毒物が混入され、4人が死亡、60人以上が中毒症状を起こした「和歌山カレー事件」。犯人であるとして逮捕され、最高裁で死刑が確定した林眞須美死刑囚については、その強烈なキャラクターを記憶している方も多いだろう。
ただし、2025年公開のドキュメンタリー映画『マミー』でも明らかにされているとおり、この事件は冤罪の可能性が非常に高い。にもかかわらず嫌疑がかけられ、長女は自死し、次女と三女は音信不通となるなど、家庭は崩壊した。そんななか、ひとりで尽力しているのが長男である(私は“林くん”と呼んでいるので、以後もそう表記させていただく)。母親の無実を訴えるべく、仕事の合間を利用して、Xでの投稿、トークイベント、講演会などを精力的に展開しているのだ。
そんな林くんと、事件のあった市内の園部地区を歩いた。まず印象的だったのは、現場に到着する前に通り過ぎた周辺環境である。事件の記憶が強いため、どよーんと空気が澱んでいるような場所を想像していたのだが、そんなことはまったくなかった。温暖な地域だから当然ではあるが、広い空が青く晴れ上がり、気候もさわやかで心地よい。
広い道路沿いには、大型のドラッグストアやコンビニも点在している。都会のように栄えているわけではないにしても、充分に暮らしやすそうである。事件当時も話題になった用水路はあまりきれいではないが、それでも地域全体には清潔感がある。きわめて普通の住宅地で、あんな騒ぎがあった場所だとは思えない。
昔から、こんな感じだったのだろうか?
「いや、だいぶ変わってますね。道もだいぶ広くなりましたし、以前はコンビニもなかったですしね。家があったあたりにしても、ぜんぜん違います。新しいお家も建ったりして」
古くからある家と、新しい家とが共存しているような印象。もしかしたら、いまではもう事件を知らない人も住んでいるのかもしれない。
「そうですね。あの当時は、ここに500人ぐらい集まってましたからね。ヘリコプターもたくさん飛んでましたし。メディアスクラムですよね」
林くんは当時、小学5年生。ご存知のとおり家は金銭的に恵まれていたため、ほしいものはなんでも買ってもらえたようだ。そのため友だちが遊びに来ることも多かったが、お金のことを除けば、基本的にはどこにでもいそうな活発な少年だった。
だが、事件があってから、いろいろなことが大きく変わった。
「そうですね、あれで学びましたね。朝も家を出ると記者さんがついてきて、学校に着くまでいろいろ聞かれたりとか」
過去に話を聞いていて、何度か感じたことがある。たしかに、「ギャンブルして麻雀して外車に乗って」と派手な家ではあったし、そんなことを田舎でしていれば目立たないわけがない。しかし、家族仲のよさなどを鑑みると、林家は基本的に“普通の田舎の家族”だったのではないかということだ。
「普通なんですよ。たしかに派手さはあったんですけど」
派手と聞いて思い出すことのひとつが、眞須美死刑囚が報道陣に向かってホースで水をかける姿だ。メディアによって繰り返し報道されたその姿は、“無抵抗な報道陣を水で威嚇する毒婦”というイメージとして定着した。だが実際のところ、きっかけをつくったのはマスコミだった。敷地に侵入してくる報道陣にいら立った夫の健治氏が、眞須美死刑囚に「頭を冷やしてやれ」と告げたことから始まったのである。
「何十回とまいてるうち、恒例行事みたいになってたんですよね。で、ある日『林さん、きょうはカッパ着てるんで大丈夫ですよ』って言われたからまいたら、それが有名な悪女を象徴する写真になっちゃいましたね」
風評とはそうやってでき上がっていくものなのだろうが、ひどい話ではある。
あれから28年。いまでは世論や記者の対応は変わったのだろうか?
「世の中で再審開始の事件が増え始めたり、警察の不祥事もすごく増えたりしてるなかで、『これは冤罪かもしれませんね』って言う記者さんがちらほら出てき始めてます。あと、警察担当の記者さんとかは、ポロッとそういうことを言いはじめるようになりました。そういう意味で、『絶対に間違えないはずの裁判所や検察官や警察は、国民のヒーローだ』みたいな価値観が、若干崩れかけている気はしますね」
取材/文・印南敦史
いんなみあつし 作家・書評家。林家の長男と数年来の交流を持ち、著書『抗う練習』(2024年、フォレスト出版)では対談もおこなっている
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