社会・政治社会・政治

元ソフトバンク社畜が語る「2人の鬼上司」孫正義が激高して…

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2019.03.10 11:00 最終更新日:2019.03.10 11:00

元ソフトバンク社畜が語る「2人の鬼上司」孫正義が激高して…

 

 パワハラやセクハラをはじめ、上司から部下への過ぎた言動が、「ハラスメント」という概念とともに厳しく制限されている現代日本。しかし、ほんの20年ほど前は、現在でいうハラスメント行為が当たり前におこなわれていたのも、また事実である。

 

 1998年、まだベンチャー精神が強く根付いていたソフトバンクのグループ企業に入社し、「社畜」としてその労働力を捧げた人物がいる。現在は複数のスタートアップ企業で役員・アドバイザーを務める、須田仁之氏だ。

 

 

 インターネット通信事業「Yahoo! BB」の立ち上げに参画し、一時期は孫氏の直属で経営企画業務を担当していた須田氏が、ソフトバンクグループに所属していたのは、わずか4年たらず。しかし、その間に出会った「鬼上司」から受けた指導は、一生モノの財産になったという。

 

「新卒で入社した会社で同期だった友人に誘われて、25歳で彼が勤める会社に転職しました。その会社とは、ソフトバンクの孫正義社長が、“世界のメディア王” ルパート・マードックと組んで立ち上げた『JスカイB株式会社(以下、スカイ社)』。いま『スカパー!』を運営している、スカパーJSATの元会社にあたります。

 

 HISの澤田秀雄社長、パソナの南部靖之社長とともに、当時『ベンチャー三銃士』と評され、すでにカリスマ経営者として名を馳せていた孫さんが、衛星放送事業に乗り出すために設立した合資会社に入れたのは、運が良かったと思います」(須田氏、以下同)

 

 新卒で入社した前職では、2年間社長秘書を務めていた須田氏。実務経験がなく、まったくと言っていいほどビジネススキルがなかった。そしてここから、須田氏の社畜地獄が始まる。

 

「配属された部署は、僕を入れて4名体制の『経営企画室』でした。大ボスのCFO(最高財務責任者)は野村證券から、そして僕の教育係でもある番頭格の先輩男性社員は、外資系コンサルからの転職組でした。僕の人生には、『鬼』と呼べる人物が2人いますが、そのうち1人がこのコンサル出身の先輩です」

 

 コンサル出身の鬼上司A氏と一緒にスタートした実務は、カルチャーショックの連続だったという。

 

「経営企画とは、主に会社全体の予算を組んで『事業計画』を作成し、計画通りに進むよう資金面とともに統制管理する業務です。

 

 具体的には、技術、マーケティング、コンテンツなど、各部門の会議に出席して現状を把握し、進捗情報を整理して数値を弾き出して、経営陣の意思決定のサポートをします。スキルゼロの新米には高度すぎる業務でした。

 

 僕の最初の仕事は、その鬼上司Aさんと会議に同席して、議事録をとることでした。彼は、当時20代後半ぐらいだったと思いますが、他部署の10歳以上年上の部長たちにも、タメ語で噛み付きます。

 

 歯切れの悪い報告には、『ん? なに言ってんの? もう1回言ってもらえる? 本質からずれてない?』という調子です。前職の社長秘書時代には『人情の機微を捉えろ』と言われていましたので、真逆の世界観でした。

 

 その後は、とにかく表計算ソフト『エクセル』を徹底的に叩き込まれました。外に出ても、オフィスビルの窓やドアが表の『セル』にしか見えず、通勤で乗っていたゆりかもめの車両すら、『色付きのセル』に見えてきます。

 

 そして、プレゼン用資料作成ソフト『パワーポイント』も散々やらされました。毎回20ページほど作らされて、Aさんにプリントアウトして提出すると、1ページずつ丹念にチェックされ、真っ赤になって戻されます。

 

 指示された箇所を修正して再提出すると、『オレが赤入れしたままかよ! 意味わかってんのか? 言われたとおりじゃなくて、もっと自分で考えろ!』と怒鳴られて突き返されるんです。こんなことが10往復ほど続いて、あっという間に1日が終わる」

もっと見る

今、あなたにおすすめの記事

社会・政治一覧をもっと見る