真理子夫人と接する機会が多い人々の意見はどうか。菅の秘書を務めたことがある、山本たかし・横浜市議はこう語る。
「菅先生は秘書には厳しい人で、近づくのが怖かった。そのぶん、真理子さんは常に優しくて、若い秘書たちにとっての癒やし。“日本のお母さん” という感じでした」
若い秘書と会うたびに、「いつもありがとうね」「体は大丈夫?」「菅に怒られてない?」と気配りを欠かさないという。
そんな真理子夫人も、やむを得ないときには、菅の代理で出てくることも。菅の横浜市議時代からの盟友である田野井一雄・横浜市議が明かす。
「困った顔をして、『どうしよう』なんて言っているのですが、いざ話しだすと、1分かそこらで必要なことを無駄なく盛り込んでしゃべるんです」
こうして、真理子夫人から “陰に陽に” 支えられ、政治家として階段を順調に上ってきた菅。だが、「菅義偉総理大臣」は、現実問題としてどれくらいあり得る話なのか。
「菅さんは、もともと総理を目指して政治家をやってきたタイプではないんです。それでも、これだけ長きにわたって “官邸の主” を務めていれば、党内や高級官僚に対して相当強い睨みを利かせることができる。
ポスト安倍のいちばん近いところにいるのは間違いなく、彼もやる気がないわけじゃないと思いますが、そういうそぶりはなかなか見せない人です」(政治ジャーナリスト・角谷浩一氏)
じつは、つねに三歩下がって菅を立ててきた真理子夫人が、一度だけ “最前線” に立ったことがあるという。
「1987年、菅さんが初めて横浜市議選への出馬を決断したときのことです。同じ選挙区から、別の自民党の長老議員も出馬を宣言したせいで、菅さんは党の公認がなかなかもらえず、全方位から『出馬を取りやめろ』と反対されました。
そのなかで唯一、『支援者はいると信じています』と言って、周囲と戦ったのが真理子さんでした」(前出・齊藤氏)
今も、夫の選挙のときだけは不安を口にするという。
「菅さんが2012年に官房長官となって以降の衆院選では、多忙で選挙区に戻れなくなり、『不安でしょうがないのよ。眠れないの』とおっしゃっていました。『趣味は菅義偉に尽くすこと』というような女性なんです」(前出・遊佐氏)
いま、いよいよ見えてきた「総理の座」を前に、真理子夫人はどんな思いでいるのだろうか。周囲の反対を押し切って、市議選に出馬する夫の背中を押した日のことを懐かしく思い出しているのかもしれない−−。
※本文一部敬称略
(週刊FLASH 2019年8月20・27日号)