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アフガニスタンで死亡「中村哲医師」が語っていた「死の際」

社会・政治 投稿日:2019.12.04 19:40FLASH編集部

アフガニスタンで死亡「中村哲医師」が語っていた「死の際」

写真:AP/アフロ

 

 アフガニスタンで、病院や用水路の建設など復興事業に関わってきた医師の中村哲さんが、12月4日、車で移動中に銃撃され、病院で死亡した。73歳だった。

 

 中村さんが、日本キリスト教海外医療協力会から派遣され、パキスタンの州都ぺシャワールに赴任したのは、1984年だった。当時37歳。1986年には、アフガン難民のための診療所をぺシャワールに開設している。

 

 

 赴任当初からハンセン病のコントロール計画に参加し、主に貧困層を対象に内科・外科も含めた診療に携わった。1998年には、基幹病院をペシャワールに建設して院長になっている。現地の人々は、中村さんのことを「ドクター・サーブ」と呼んだ。英語で言い換えれば「ドクター・サー」。最上級の尊称だ。

 

 かつて取材した本誌記者に、中村さんは「死の恐怖」について語っている。

 

 1991年、アフガニスタン東部のダラエ・ヌール渓谷に診療所を開いたばかりの中村さんは、そのとき車で移動中だった。突然、空気を切り裂く音とともに、80メートルほど前方にロケット弾が落下した。

 

 その瞬間、なぜか頭に浮かんだのは、自分が入っている生命保険の金額だったという。結局、不発に終わり一命を取り留めたのだが、同乗していた運転手は、しばらく放心状態だった。

 

 1992年には、移動診療に向かうため、辺境の山岳地帯を歩いていたとき、足がすべって断崖に落下した。偶然、生えていた木に体が引っ掛かり、からくも谷底への転落を免れた。仲間の手で助け上げられるまで、中村さんはずっと1匹の蝶を見ていたという。

 

「はっとするほど鮮やかな水色の蝶が、サナギから羽化して羽を広げようとしていてね。その様子を、ただ見つめていたんです。死の恐怖というが、いざその場に臨めば、妙に現実的なことを考えたり、とりあえずどうでもいいようなことが思い浮かぶ。死ぬか生きるかのときはそんなもんです」

 

 中村さんと現地の関わりは、1978年に始まる。31歳の中村さんは、社会人山岳会のティリチ・ミール遠征隊に医師として参加していた。きっかけは偶然だった。当初予定していた医師が急に行けなくなり、その代わりとして声がかかったのだという。

 

 もともと山が好きで、カラコルム山脈に憧れがあった中村さんは、2つ返事で引き受けた。実はもうひとつ理由があり、それが蝶だった。一帯はモンシロチョウの起源の地と言われており、幼少期から『ファーブル昆虫記』を熟読していた中村さんにとって、いつか行きたい場所だったのだ。

 

 中村さんは、そんな憧れの地で銃撃され、命を落とした。今年10月、アフガニスタン政府から名誉国民に認定され、市民証が授与されたばかりだった。

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