社会・政治
元榮太一郎「僕の勝ち方」(2)起業で見た天国と地獄
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2020.03.06 20:00 最終更新日:2020.03.06 20:00
大赤字に東日本大震災…「ドン底のさらに奥」を乗り越えるためにすべきこと
金銭面で苦しみながら、新オフィスでの操業を始めた。
「人を雇うお金はないのですが、電話番や銀行・郵便局回りをしてくれるスタッフがどうしても必要になってきました。そんなとき、ある “禁じ手” が思い浮かんでしまったんです。
『あ……藤沢の片田舎に、30年もの豊かな専業主婦経験を持つ、専業主婦界のレジェンド1名発見!』
うちの母です(笑)。もう状況的に、背に腹は変えられない。ですから、『大変だから助けて。いまは給料は払えないんだけど、できれば週3ぐらいで来てもらえない?』と泣きつきました。
“スタッフ第1号” として母が来てくれるようになったのですが、パソコンが使えないという欠点があって。そこで、『特打ち』というキーボード練習ソフトを買って渡して、『まずは会社にいるあいだ、一番上のレベルをクリアするまで、これをやってください』と。
経験ゼロの母は『あらあら』と言いながら、1カ月ぐらいでパソコンを難なく使えるレベルまで上達してくれて。それから2006年の5月まで、母と2人でオフィスを切り盛りしていました」
2006年11月には第1号の「社員」を採用し、サービスも会社も徐々に前進していった。ところが弁コムは、「8期連続赤字」というドン底状態に、耐え続けることになる。
「収支面で苦しいときに心の支えになったのが、サイトのお問い合わせフォームにユーザーからいただいた、このような感謝のメールでした。
『弁護士ドットコムのおかげで、とてもいい弁護士さんに出会えて、借金で死ぬことすら考えていた、どん詰まりの生活を助けてもらいました。本当にありがとうございます』
『別れた夫に養育費を払ってもらえず悩んでいました。弁護士ドットコムで弁護士さんに出会えたおかげで、払ってもらえるようになって、なんとかやっていけます』
弁護士さんへの橋渡し役である僕たちに、わざわざメールをくださるのは、裏を返せば、とてつもない喜び・安心・インパクトを与えることができたということ。『いまは苦しくても絶対に閉じちゃいけない』と、志を確かにしました」
そのころの運営資本は、もっぱら元榮氏が代表弁護士を務める「オーセンス」に依存していた。ところが2010年の秋、今度は頼みのオーセンスが、岐路を迎えることに……。
「個人法務、具体的には『債務整理』の依頼数が伸びていました。ちょうどテレビCMが盛んに放送され、弁護士業界でも多くの弁護士が取り組んでいた頃です。うちの事務所でもホームページを立ち上げたところ、ネット経由で債務整理の依頼がたくさん寄せられるようになっていた。
2006年の春には、事務員を入れて5人だったオーセンスですが、この頃には全体で200人ほどに拡大していました。ただ、僕のなかでは、『債務整理案件に依存する事務所運営は、健全ではない』という思いがあった。
テレビCMを流す事務所のように、債務整理を追いかけた支店展開をしていくのは、自分の美学とは違ったからです。『足るを知る』という言葉を大事にしていたので、代表として『全国展開はナシだ』と決めていました」
しかし、ほかの経営メンバーは元榮氏とは異なり、「このチャンスを活かして、もっと成長したい」という意向だった。
「そのとき思ったんです。『一度きりの人生は、みんなにとってもそうなんだ』って。当時、オーセンスと弁コムの両輪で描く未来に無限の可能性を感じ、赤字続きの『弁護士ドットコム』が社会に役立つインフラとしてうまくいくと確信していたのは、僕だけでしたから(笑)。
『じゃあ事務所を分割しよう』と思い立ち、9月に僕からほかの経営メンバーに申し出ました。これだったら分割を前向きに進められるはずだという条件を、少しやせ我慢して提示したら、無事に納得してくれて。『決まったら最速でやろう』ということで、その年の12月12日に分割を完了させたんです」
ところが、信念をもって進んだ先には、“ドン底のさらに奥” が待っていた。
「移転して新たにスタートさせた新オーセンスは、初期投資もかかったうえ、大赤字から始まりました。さらに翌年の3月には、東日本大震災が起こります。被災者の方々を思えばたいした苦境ではありませんが、『ここで来るかー!』と膝が崩れました。
それから、みんなで “臥薪嘗胆” 状態でガムシャラに働いて、2012年から2014年にかけて、ようやく業績を戻すことができました。このオーセンス分割が、経営者としては一番大変な時期でしたね」
経営する企業が「2つとも赤字」という、絶望的状況にあった元榮氏。
「思えば独立するときから、ドン底状態でした。でも、『僕らには、人に見えないものが見えている。必ず活路が見えてくるはずだ』と自分を励まし続けました。
オーセンスが事務所をあげて再起に務めていた時期、弁コムも新たなサービスから収益源を得ることに成功し始め、2014年12月には株式上場するまでになりました。まわりからは『え! 弁コムって上場モデルだったの?』と驚かれましたが、そのときにようやく、僕が見えていたものが理解されたんです。
だから、自分が『コレだ』と思ったら、世間の反応は、あまり気にしないほうがいい。それから、これはとても大事なことですが、まずは自分を前向きな気持ちにもっていく “土壌づくり” のために、ピンチなときほど、ぐっすり眠ることです(笑)」
もとえたいちろう
1975年 米国イリノイ州生まれ 慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、1999年に旧司法試験合格、2001年からアンダーソン・毛利法律事務所(当時)にて企業法務弁護士として活躍。2005年1月に退職・独立し、同年8月に「弁護士ドットコム」のサービスを創業し、2014年12月11日に東証マザーズに上場。弁護士の起業家として注目を集め、『めざましテレビ』に金曜レギュラーとして出演するなど、メディアに多数出演。一方、2016年7月の参院選に千葉県選挙区から自民党公認候補として出馬し、当選。現在、弁護士・企業経営者・国会議員として活躍
※最新著書『「複業」で成功する』(新潮社)が発売中