濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本史に学ぶリストラ回避術』『現代日本を操った黒幕たち』ほか多数
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2016.07.15 16:00 最終更新日:2016.07.15 16:00
参院選で改憲勢力が3分の2を占めたことで、いよいよ憲法改正が具体化する。そこで、大阪観光大学観光学研究所客員研究員の濱田浩一郎氏が、これまでの「改憲案」の歴史を簡単にまとめた。
7月10日の参院選で、自民、公明両党やおおさか維新の会など改憲勢力は165議席を獲得し、改憲発議に必要な参院の3分の2を超えた。
選挙期間中、ほとんど憲法について触れなかった安倍首相も、選挙後は「憲法審査会で、政党にかかわらず議論が深まり収斂(しゅうれん)することが期待される」と発言。今後、憲法改正の是非を含めて、さまざまに議論されていくことだろう。
1955年、「保守合同」で誕生した自民党は、綱領に「日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す」と書いてあるように、改憲をそもそもの目的としている。
そのため、党内に憲法調査会を発足させ、1956年には最初の試案「憲法改正の問題点」を発表した。
さらに、「憲法改正大綱草案」(1972年)、「中間報告」(1982年)を公表するが、現実には憲法改正に向けた具体的な動きはまったく起こらなかった。
吉田茂が首相だった時代に再軍備を達成したことで、以後ずっと経済発展を最優先にしてきたからだ。
自民党には、経済優先主義と、改憲優先主義の2系統ある。吉田茂、佐藤栄作、田中角栄などは経済優先派。改憲に熱心だったのが岸信介だが、高度成長を迎え、憲法改正は後回しになった。当時は左派勢力も強く、改憲は、とてもではないが言い出せなかった。
改憲論議を一番盛り上げたのは、おそらくは三島由紀夫だろう。
1970年11月25日、三島は私兵組織「楯の会」の学生4人とともに陸上自衛隊の市ケ谷駐屯地に赴き、バルコニーから「自衛隊の国軍化」を訴えた。檄文には「憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」と書かれていた。
市ヶ谷で自害する前、三島は実際に改正私案を作っている。いったいそれはどのような内容なのか。
三島研究をしている元新聞記者の松藤竹二郎氏が、三島と楯の会の「憲法改正案」議事録を公開している。それによると、
●軍の最高指揮権は天皇ではなく「顧問院」という天皇の補佐機関に与える
●軍の予算は内閣が国会に提出し、シビリアンコントロール(文民統制)を徹底する
●徴兵制は否定
などで、軍が暴走しないよう、いくつもの気配りがある。けっして、大日本帝国の復活といった軍国主義的なものではない。
その後も、自民党は改憲を積極的に言い出すことはなかった。
ところが、2003年8月、小泉純一郎首相が、党に憲法改正案をまとめるよう指示したことで、事態が動き始める。
2004年の憲法記念日には、読売新聞が「憲法改正試案」を発表。公明党も「論点整理」を、民主党も「創憲に向けて、憲法提言」の中間報告を相次いで発表した。
こうした流れのなかで、熱心な改憲主義者だが、「在任中は改憲に手をつけない」と明言した中曽根康弘元首相が、2005年にナショナリズム色の濃い憲法試案を発表する。
《我ら日本国民はアジアの東、太平洋の波洗う美しい北東アジアの島々に歴代相承(あいう)け……》
で始まる詩的なものだが、防衛軍の設置を明記している。
そして2007年、第1次安部内閣が改憲に必要な「国民投票」のルールを決め、2012年、自民党の改正草案が発表された。
その後も、産経新聞の「国民の憲法」(2013年)など、さまざまな改憲案が登場してきた。
言うまでもなく、安倍首相は、改憲にこだわった岸信介元首相の孫。その意志を受け継いで、「国防軍」設置を目指しているのだが、はたしてどうなるのか。
選挙後、安倍首相はテレビで宮根誠司アナから「国防軍ってかっこいい感じ」と話を振られると、「自衛隊の英訳『Self-Defense Forces』だと、まるで自分自身だけを守っているように取られる。そのため、国際的なスタンダードの名前にした」と答えた。
「国防軍はかっこいい」という意見もあれば、もちろん「国防軍は国亡軍」という意見もある。憲法改正は、やはり簡単にはいきそうもない。
(著者略歴)
濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本史に学ぶリストラ回避術』『現代日本を操った黒幕たち』ほか多数