2013年5月5日、巨人で活躍した長嶋茂雄と松井秀喜が、国民栄誉賞を同時受賞した。華のあるプレーでファンを魅了し、プロ野球の一時代をつくった「ミスター・プロ野球」と、巨人ならびにヤンキースで四番を打ち、日米通算507本塁打を記録した「ゴジラ」の同時受賞に、プロ野球ファンは酔いしれた。
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巨人対広島の試合前、東京ドームに詰めかけた多くのファンを前に、長嶋・松井の両氏は安倍晋三首相(当時)から「国民栄誉賞」を授与される。スタンドから巻き起こる大歓声に、2人の元スーパースターは笑顔で応えていた。
1950年代、プロ野球は「職業野球」と呼ばれ、いまのような華々しさはなかった。その一方で注目を集めていたのが、大学野球だ。
立教大学でプレーしていた長嶋は、当時からスター選手として大きな注目を集めていた。その後、長嶋が巨人に入団したことで、プロ野球は大きな盛り上がりをみせる。いわば、巨人・長嶋の登場とともに、プロ野球の時代が幕を開けたのだ。
当時、長嶋とともにプレーし、V9時代の中心選手として活躍した元読売巨人軍・柴田勲氏がこう話す。
「僕が巨人に入団した当時から、長嶋さんは華々しいプレーをされていました。まさに “スーパースター” でしたね。長嶋さんがプレーする姿を見て、『自分も長嶋さんのようになりたい』と憧れたものです。技術はもちろんのこと、プロとして必要なことすべてを学ばせていただきました。
長嶋さんのような選手は、今後も出てこないでしょう。通算の数字だけを見ると、長嶋さんを上回った選手は何名もいます。現役でも実力のある選手は多くいますが、『実力』『人気』『スター性』において長嶋さんを超える選手は、もう2度と現れないと思います。長嶋さんがナンバーワン!」
現役を退いた後も、監督としてチームを牽引した長嶋は、1992年、ドラフト会議に出席して、高校屈指の強打者・松井秀喜を指名し、見事に交渉権を獲得した。
長嶋とマンツーマンで素振り練習を繰り返した松井。1995年から四番を任されると、スラッガーとしての才能が開花。2000年には「ミレニアム打線」の四番としてチームを優勝に導き、長嶋を胴上げした。
松井は2012年に球界を去るが、引退会見では「長嶋監督との素振り」を現役時代で最大の思い出としてあげており、その師弟関係の深さが伺える。
柴田さんがこう話す。
「国民栄誉賞の第1号は王貞治選手ですが、僕は長嶋さんでもよかったと思っています。それくらい、長嶋さんが日本のプロ野球に与えた影響は大きい。
しかし、長嶋さんに国民栄誉賞を授与するタイミングは難しかったんでしょう。
現役を引退されてすぐ監督になられて、その後も体調を崩されたり、なかなかいいタイミングがなかった。政府のみなさんも、授与のタイミングを悩んだと思います」
現在、長嶋は「巨人軍終身名誉監督」として巨人を見守り、松井は「ヤンキースGM特別アドバイザー」としてメジャーの名門を支えている。プロ野球の歴史に燦然と輝く2人の元スーパースターは、これからもファンの心のなかで輝き続ける。
写真・時事通信