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最強市民ランナー「川内優輝」を育て上げた母のスパルタ特訓

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2017.02.05 06:00 最終更新日:2017.02.05 06:35

最強市民ランナー「川内優輝」を育て上げた母のスパルタ特訓

『大学2年時に学連選抜として6区を走った』

 

 最強市民ランナーの意地を見せた。12月4日、福岡国際。川内優輝(29)は、右ふくらはぎの怪我で出場が危ぶまれ、満身創痍での強行出場だった。舞台裏を母親の美加さんが明かす。

 

「こんな状態で走ってもいい結果は出ないからと、東京(マラソン)か、びわ湖(毎日マラソン)にスライドすればと言いつづけていたんです。でも、優輝はずっと黙ってる。これは絶対に出るんだろうなって。

 

 じつは優輝には内緒で、大会事務局に、出られないかもしれませんってお伝えしていたんです。しかも2日前の練習中に、今度は左足を捻挫。これで出場すれば、惨めな姿を見せることになるだろうなって、心配でしょうがありませんでした」

 

 しかし、転んでもただでは起きなかった。結果は、日本人トップの3位。

 

「レース後は、『奇跡が起きちゃったね』としか言えませんでした。気温が予想よりも上がらず、雨が降ったことで足の感覚が麻痺したらしく、本人は痛みを感じなかったと言ってました」

 

■陸上無名大学で才能開花。憧れの箱根路6区を完走

 

 美加さんとの親子二人三脚のマラソン人生がスタートしたのは、小学校1年のとき。地元のちびっこマラソン大会出場がきっかけだった。

 

「特に練習もしないで出場したら5位。これなら練習をすれば、もっといい順位が出るかなと。そこから近くの公園で練習を始めました。1500mを走らせ、自己ベストを更新したら、ご褒美に飲み物か食べ物を買ってあげる。

 

 逆にタイムが20秒以上遅かったら、罰ゲームとして500mを走らせる。罰ゲームを5本ぐらいやってもタイムが上がらないときは、置いてきぼりにして、自宅まで3㌔ぐらいの距離を走って帰ってきなさいって。周囲からはスパルタに見えたかもしれませんね(笑)」

 

 強豪校である春日部東高校へ進んだ川内は、箱根駅伝出場と、強豪大学への進学を夢見たが、たび重なる怪我で、初めての挫折を味わった。やむなく陸上無名校の学習院大学へ進んだが、転機が訪れる。熱血的な指導者との出会いもあって、自己ベストを次々と更新。

 

 2年生のとき、学連選抜として箱根の6区を走る夢が実現したのだ。

 

「学習院初の箱根ランナーになったことで話題となり、メディアでずいぶんと騒がれました。そのせいか、3年生のときの予選会ではOBの方が押し寄せたりと、大学の期待を一身に背負って緊張したみたいで、172位と惨敗。箱根には出られなかった。実業団からも声はかからず、本人は公務員になると決めて、勉強を始めました」

 

 こうして、埼玉県庁の職員となった川内。実業団選手とは違い、環境も待遇も恵まれないなか、海外レースにも積極的に挑戦するなど、自らにハードスケジュールを課す日々を送る。

 

「大学4年時に、ニューカレドニアのハーフマラソンで優勝した経験が忘れられないようです。国内とは違うレースの楽しさがあると。今の唯一の楽しみは海外レースに出場して、その後観光すること。そのプランを組み立てるのが、本当に楽しいみたいですね」

 

■尊敬する師の提言は「休むことも大事な練習」

 

 組み立てるといえば、川内は練習メニューから出場レースまで、すべてを自分一人で考える。

 

「すべて決められた練習メニューで、窮屈な思いをした時期があったので、自由にできるほうが合ってるみたいです。ただ、一人の練習には限界がある。相手と競い合うこと、つまり実戦=練習と考えているようです。

 

 ただ、やみくもに出ているわけではなく、狙ったレースから逆算して、2週間前にハーフマラソンを入れたほうがいいなどと、自分なりにプランを立てているんです」

 

 そんな川内にアドバイスを送るのは、彼が尊敬してやまない元五輪メダリストの君原健二さんだ。

 

「彼は市民ランナーということで、マラソン自体が練習の一環という考えのようですが、出場するレースの回数が多すぎる。

 

 それで心配になり、昨年の福岡国際の後に手紙を書いたんです。『練習量が落ちても成果(タイムが縮まる)が出るときがある』と。私も23歳で臨んだ東京五輪で8位に終わり、周囲のプレッシャーから走ることをやめようと思った時期があった。

 

 その後、レースに出場したのは1年以上も後でしたが、逆にタイムはよくなった。マラソンは、心技体のスポーツというのがよくわかりました。それがメキシコ五輪の銀メダルに繋がったと思います。

 

 勇気をもって休むことも大事な練習です。もうひとつ、これは陸連の仕事ですが、『川内プロジェクト』を立ち上げ、支援態勢を整えてほしいですね」

 

 川内といえば、ゴール後に失神して医務室に運ばれる光景が有名だが、それは「1秒のこだわり」ゆえ。美加さんは、彼の胸中をこう代弁する。

 

「ガッツポーズをすると、1秒遅くなるから絶対にしないと。あのへんな顔でゴールをするのも、1秒でも速くという思いからなんだと。あれは、小学生のころからの癖なんですよ(笑)」

 

 今年で30歳。夏の世界選手権の有力候補にも挙がり、マラソンランナーとして脂が乗ってきている時期である。

 

 最後に、気になる「嫁取りレース」は?

 

「そういう雰囲気はまったくないです。自分から声をかけるタイプじゃないので、女性のほうからって感じですかね。理想? 一緒に走ってくれる女性だそうですよ(笑)」

(週刊FLASH 2017年1月17日、24日合併号)

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