スポーツ
ペタジーニ、勝負強さの秘密は「遅れ気味に出てくるバット」遠心力の使い方が絶妙【谷繁元信・強打者の弱点の見つけ方】
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2023.02.04 06:00 最終更新日:2023.02.04 06:00
捕手として2963試合に出場し、デビューから27年連続本塁打のギネス記録、3021試合出場のNPB記録を打ち立てた、元中日ドラゴンズ監督の谷繁元信氏。
そんな不世出の名捕手が、これまで対戦してきた強打者・巧打者とどんな駆け引きをしてきたのかを、著書『谷繁ノート』にまとめた。誰も気づいていない弱点をどのように探っていったのか、一部を紹介しよう。
関連記事:金本知憲は、なぜファーストストライクをほとんど振らなかったのか【谷繁元信・強打者の弱点の見つけ方】
※
かつて、ヤクルトが優勝したときには、左の大砲が存在することが多かった。マニエル(1978年)、ハウエル(1992年、93年)、オマリー(1995年)、ホージー(1997年)、そしてペタジーニ(2001年)だ。
ペタジーニは、長く対戦して、最終的に印象にあるのは、すごくミートポイントが近い打者ということだ。体の近くまで投球を引き込んで、最後までボール、ストライクを見極められるから選球眼がよく、四球が多い。1999年は116四球、2001年は120四球を選んでいる。
バットの軌道は、ものすごい内側からヘッドが遅れて出てくるインサイドアウト。みんなヘッドが少し遅れて出てくるのだが、かなり遅れて出てくる。外国人選手では珍しいタイプだ。スイングスピードはそんなに速くないが、バットが体から離れない。遠心力を上手に使って打つ打者だった。
バットの軌道的に、変化球にも対応できる。左投手も苦にしない。ヒットゾーンが広くてすべての方向に打てる。少し遅れ気味に打つのだが、芯に当ててレフト方向に本塁打にする。バッテリーとして実に攻めづらい打者だった。
私は、1995年のオマリーとも対戦しているが、投球を呼び込めて選球眼がいいところが似ている。日本で成功する外国人のタイプだ。ヤクルトはオマリーでの成功を踏まえてペタジーニを獲得したのではないか。
そういえば、25歳上のオルガ夫人のことは、他球団の我々も伝え聞いて知っていた。小学校時代の同級生の母親だったとか……。ヤクルトの通訳担当いわく「ペタは一に神、二に夫人、三に野球。でも、ヤクルトで一番勝負強い外国人選手だった」そうだ。
谷繁元信(たにしげもとのぶ)
1970年、広島県生まれ。右投げ右打ち、176センチ・81キロ。島根・江の川高校(現・石見智翠館高校)卒業。1988年、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNA)入団。2002年、中日ドラゴンズに移籍。2014年からはプレーイング・マネジャーを務め、15年限りで現役を引退すると、翌年から専任監督に。通算成績は2108安打、打率.240、229本塁打、1040打点。通算3021試合出場は日本記録、捕手として2963試合出場は世界記録。ゴールデングラブ賞6回、ベストナイン1回、最優秀バッテリー賞4回受賞。オールスターゲーム12回出場。著書に『勝敗はバッテリーが8割~名捕手が選ぶ投手30人の投球術』(幻冬舎)、『谷繁流 キャッチャー思考~当たり前の積み重ねが確固たる自信を生む』(日本文芸社)がある。
●『谷繁ノート ~強打者の打ち取り方』詳細はこちら
( SmartFLASH )