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江川卓「忘れられない一球」は1981年の日本シリーズ「神様は野球に詳しくないのかも」と思った理由

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2023.05.22 18:56 最終更新日:2023.05.22 19:02

江川卓「忘れられない一球」は1981年の日本シリーズ「神様は野球に詳しくないのかも」と思った理由

写真:三井公一/アフロ

 

 これまで、何人ものレジェンドと対面した。そしてインタビューではそれぞれのレジェンドが、かつてのライバル、自らにとっての難敵について熱く語ってくれた。そこで最も多く登場した名前が江川卓である。だからこそ、伝説の怪物に是が非でも会いたかった――。

 

■確かに、浮き上がるその速球

 

 まずは、実に多くのレジェンド達が史上最高の投手として名を挙げた事実について告げると、江川は一瞬、困惑した表情を見せながらもこう話した。

 

 

「真っ直ぐは確かに自信を持っていました。ただ、3、4年目くらいでしょうか。肩を痛めまして、プロ野球生活9年のうち前半の半分はスピードだけで抑えていくといった投球でしたが、後半の半分は肩の痛い状態で投げていたということになります。

 

 ですから肩を痛めてからはコントロールがないと生きていけないと思って、ボールを半個分、外したり入れたりという作業を練習でも行って、なんとか乗り切ったという印象、それが本音です。

 

 キャリアの前半、後半にはこうした違いがあったとしか言えません。本音では、成績に追いかけられた現役時代、でしょうか。前年度の成績を下回ることはできないという感覚がとても強く残っています」

 

 では本人も認めるキャリア前半、スピードに自信があった時代のボールはどのような種類のものだったかを訊ねていきたい。具体的にはプロ入りした1979年から、セ・リーグ最多勝を獲得した翌年の1982年あたりまでのおよそ4年間。

 

 そのボールを目にした打者は口々に「ボールが浮き上がって見えた」と話し、そのスピードは他投手とは別次元にも見えた。3年連続奪三振王としてセ・リーグに君臨した時代でもある。

 

「勘違いされている方も多いんですが、プロの打者はタイミングさえ取れればいくら速い球でもファールにできるので、球のスピードがあれば三振を取れるわけではありません。

 

 ですからポイントは “伸び” といいますか。正しくは球がミットに入るまで、いかに減速しないか、です。球が “浮き上がる” ということに関しては、自分でも感じたことは何回かあります。

 

 マウンドの上からストライクゾーンに投げれば実質的には球が “落ちる” のが正しいですし、球が浮き上がることは絶対にないとおっしゃる方はたくさんいます。

 

 でも視覚として球が浮き上がっていくという感覚があったのは事実です。うまく回転させたという時にふわんと球が上がる感覚。もし浮いているとすればですが30センチ程度、浮いたなという感じ。本当に何回かですが」

 

 球が浮き上がるのは、球の回転に秘密があるという研究データもある。江川の球の回転軸は地面ときっちり平行であり、通常の投手ではできないこの芸当が球を浮き上がらせたという一つの推論だ。

 

 そんな球を投げられたと感じた瞬間は、やはり至上の快感が全身をほとばしったのではないかと本人に聞いてみた。

 

「そうですね。人間によって重力が発見され、この重力に逆らって球が浮く。これを目指していた感じでしたから。物理学の専門家からすればそんなことはあるはずがないと言われるかもしれませんけど」

 

■野球の神様は江川の願いを受け入れたか

 

 江川といえば、1984年のオールスターゲームが有名だ。江夏豊の9連続三振にあと一歩で届かなかった8連続三振のシーンである。だが、オールスターでの投球とは別の一球が、江川の脳裏に深く焼き付いているという。

 

 それは1981年の日本シリーズ第6戦。相手は日本ハム、ついに日本一を決めた最後の一球だった。

 

 この年、レギュラーシーズンでは最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振など投手4冠王に。巨人は8年ぶりの日本一が懸かった日本シリーズでも江川を軸に試合を組み立て、3勝2敗と王手をかけた第6戦でもこの絶対的エースに先発を託していた。

 

 そして6対3と巨人の3点リードで迎えた9回裏、2アウトで打席には五十嵐信一。ストレートを続けざまに投げ込んで2ナッシングと追い込んだ後の4球目。

 

 一球遊ぶこともせず、内角やや高めへストレートが投じられた。一見するとセ・リーグ奪三振王が最後に三振を狙った球のようにも思えたが、本人の意図は異なるところにあったようだ。

 

 五十嵐の打球は高々としたフライに。江川は、捕球しようと一塁からマウンド方向へ向かってきた中畑清を制し、このピッチャーフライをキャッチ。その瞬間、日本一が決まるのである。

 

 ポーンと上がったフライのボール。観客やテレビの前のファンには、なんだか時間が止まったようにも感じられたシーンだった。

 

「野球の神様からこのピッチャーフライをいただいた。でもライナーでお願いしたのにフライでしたのでちょっと違うんですよ。ひょっとすると神様は野球にあまり詳しくなかったのかもしれません。

 

 神様としてはちょっとひねって、フライが上がる時間を僕に楽しませてくれましたね。でもそのフライを捕球しようとした時、白いボールが真っ黒な背景に浮いているように見えたんです。

 

 真っ暗な背景にボールの赤い縫い目が見えて、回転せずにわーっと落ちてきた。ですけどあれ、デーゲームだから空は青いはずなんですよ」

 

 完投の役目をまっとうしつつ、最後の打球を投手が捕球して日本一を決めるというこの結末。事前に想定したライナーではなかったが、まんまと江川の思惑が最高の舞台で実現した瞬間だった。

 

 

 以上、宇都宮ミゲル氏の新刊『一球の記憶』(朝日新聞出版)をもとに再構成しました。村田兆治、山田久志、東尾修、掛布雅之など、昭和のプロ野球で活躍した名選手37人が、絶対に忘れられない一球を告白します。

( SmartFLASH )

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