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阪神「38年ぶり日本一」に明石市前市長も感動「MVPは岡田監督。次の総理をやったらええんちゃうか」

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2023.11.06 21:00 最終更新日:2023.11.06 21:00

阪神「38年ぶり日本一」に明石市前市長も感動「MVPは岡田監督。次の総理をやったらええんちゃうか」

「阪神が日本一を決めた5日夜、道頓堀に集うファン」

 

 11月5日、阪神タイガースが、38年ぶりの日本一に輝いた。同じ関西勢のオリックスとの対決は、3勝3敗で最終戦に突入。ノイジーの3ランで先制した阪神は、その勢いのまま加点を続け、7‐1で圧勝した。

 

 11月6日配信の「スポニチ」によると、関西地区で放送された最終戦(関西テレビ)の平均世帯視聴率が38.1%、最後の打球が飛んだ場面の瞬間最高視聴率は50.0%(ともにビデオリサーチ調べ)だったという。

 

 

 ゲームセット直後、X(旧Twitter)は《阪神ありがとう》《ファンでよかった》《日本一で最高の夜》などと大フィーバーを呈した。

 

「虎党」を公言し、政界ご意見番の、あの人も歓喜の声をあげた。阪神の本拠地・甲子園がある兵庫県の明石市で、4月まで12年間、市長を務めた泉房穂氏だ。

 

「率直にうれしいですね。道頓堀川に飛び込みたいくらい。ほんまはあかんけど、飛び込む気持ちはわかる」

 

 前回、日本一になったとき、泉氏は大学生で、当時を思うと感慨深いという。

 

「1985年の4月17日。忘れもしない、バース、掛布(雅之)、岡田(彰布)が、槙原(寛己投手・巨人)から打った3連発。あのときの記憶がすごく鮮明で。そのころって、じつは私は大学に退学届を提出した後で、東京の下宿を引き払って、明石の実家にこもっていた。そのときに、弱い阪神がものすごくがんばっている姿が、意気消沈した自分を勇気づけてくれた。

 

 秋に、阪神の優勝と時を同じくする形で私は東京に戻り、退学届がまだ受理されていなかったので、もう1回、人生をやり直すことにしました。個人的な話ですけど、38年前の日本一というのは『また人生、がんばろう』と思わせてくれた、当時、22歳だった自分自身へのエールになった。それ以来、日本一から遠ざかっていた阪神が、今度は岡田選手が監督として快挙を成し遂げ、感無量です」

 

 泉氏にとって、今シーズンのMVPは?

 

「やっぱり岡田監督ですわ。もちろん選手層は厚かったけど、岡田監督が優勝させたといってもいいくらい。野球はトップ次第ですね。

 

 岡田監督は栄光の1985年がありながら、その後、リーグ優勝はしたけど日本シリーズで4連敗。ある意味、彼のなかでの栄光と挫折が、今回の監督としての、冷徹といっていいくらい合理的な判断につながったと思います」

 

 岡田監督はどこが優れていたのか?

 

「目的の明確化、適材適所の選手起用、合理的な戦術の3点です。

 

 まず、優勝という目的に対する意識を、チーム全体で共有した。優勝を『アレ』と表現したことで、逆に意識づけをし、そのために一人ひとりがどうするか、という発想を浸透させたのはたいしたもの。何をおいても、最大のファンサービスは優勝なんだ、日本一なんだ、だから必ず実現するんだ、という並々ならぬ決意があった。

 

 そして選手起用については、ポジショニングも打順も、極めて合理的に決めていた。個人的な感情ではなくて、淡々と、きちんとこなしていたのが、むしろ信頼を高めた。リーダーとして、もっとも重要な仕事のひとつである適材適所の人事をしていたね。

 

 戦術についても、ランナーが出たらバントで送ったり、無理をせずにフォアボールを稼いだりと、確実なプレーを積み重ねたものだった。派手な動きじゃなくて、やるべき仕事をコツコツこなしたことが、今年の阪神の特徴でした。

 

 一方で、二軍で調子がよければ一軍に引き上げるとか、表情がいい選手を使うとか、人間的な判断もした。データに加え、選手の勢いや調子で判断していたところが野村野球と異なる点で、奏功したんだと思う。

 

 試合を見ていて、次の総理は岡田監督がやったらええんちゃうかと思ったよ。自分の保身が目的で、派閥の領袖のいいなりになって人事をやり続ける岸田総理とは正反対。岡田監督とぜひ会って、リーダーシップの話をしてみたいね」

 

 岡田監督と泉氏の議論が、日本を変えるかもしれない。

( SmartFLASH )

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