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【侍ジャパン】阪神・森下翔太の父が“喜び”告白「グラウンド側の家」で英才教育、野球のルールは「テレビゲームで」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2023.11.15 06:00 最終更新日:2023.11.15 06:00
「現地で観たのは第6戦まで。日本一の瞬間は妻と一緒に、自宅の“特等席”で観ました」
こう話すのは、阪神タイガースの森下翔太(23)の父・善文さんだ。
日本シリーズで、新人最多記録を更新する7打点の大暴れだった森下。1985年の後、日本一に3回挑戦するもすべて敗退するなど、ここ一番の大勝負に弱かった“ダメ虎”の救世主になった。
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そんな“特等席”のある横浜市の自宅こそ、若いころから野球ひと筋の善文さんが、息子に授けた最大のプレゼントだ。
「20年ほど前に家を買ったときに、野球ができるグラウンドのすぐ側にしたんです。それが正解でしたね(笑)。
小学3~4年生のころは、毎晩のように街灯の下で私がトスを上げ、息子が打つという練習をやっていました」(善文さん)
今季は新人ながら開幕戦に「六番・右翼」でスタメン出場。しかし調子が上がらず、6月までは本塁打ゼロと苦渋を味わった。それでも、岡田彰布監督(65)が起用し続けたのは、遠くに飛ばす打力、肩の強さといったポテンシャルの高さからだ。
「息子の運動神経はいいほうだったんだと思います。保育園のころにサッカースクールに誘われて、体験してみたところ、楽しかったようで、『横浜F・マリノス』のジュニアチームに申し込んだんですよ。でも、すぐには入れず順番待ちの間に“野球遊び”をさせて、なんとか野球に興味を持たせました(笑)。
サッカーをやっていたコの親御さんたちは『翔太はずっとやってたら、たぶんサッカーでも日本代表になっていたんじゃないか』と言ってくれます。ただ、本人がイヤイヤ野球をやることがないように、練習にもゲーム性を持たせる工夫をしました。
3色のカラーボールを投げて、私が言った色を打つとか……それも息子はいとも簡単に打っていました。野球のルールも、野球盤とテレビゲームで教えました」(同前)
小学6年生まで自ら熱血指導した善文さんも、その後は「いい指導者におまかせしました」と語るように、中学硬式の名門・戸塚リトルシニア、東海大相模高校、中央大学という“王道キャリア”を歩んだ森下。
だが、戸塚リトルシニアの吉島良紀監督(67)は、意外にもこんな思い出を振り返る。
「入団時、すでに体も大きかったのに、とにかくおとなしかったんです。中学2年生ごろまでは、メンタルの弱さでレギュラーまであと一歩という様子でした。なので、いまの立派な成長は本当にうれしいです」
善文さんも「周囲のおかげで、大学4年生ぐらいからしっかりしてきました」と話すように、入団前は心配だったそう。
「阪神はいい球団ですが、ファンの熱意がすごいので、いまは僕のほうがちょっとしたことで浮き沈みしています(苦笑)。でも、今回の日本シリーズは、ファンのみなさまに勝たせてもらったような気がします」(善文さん)
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写真・馬詰雅浩