九月場所の少し前、まだ暑さの残る日、僕は国技館にやってきていた。今日取材するのは、行司である。
電車の中で、たまに力士を見かけることはある。だが、行司を見たことはない。彼らはふだんどこにいて、何をしているのか、知りたかった。
「移動時はスーツにネクタイですから。一般的なサラリーマンと、区別はつかないと思いますよ」
大きな目に、への字の口。十両格行司、現在39歳の木村勘九郎さんは、朴訥にそう語る。服装はカッターシャツにズボン。
「いつも土俵で軍配を振っているわけじゃないんですね」
「それは行司の仕事の一部にすぎませんからね。あ、すみません」
勘九郎さんは慣れた動作でスマートフォンを取り、何か話し始めたりもする。取材中に部屋を訪れた後輩が「ごっつぁんです」と挨拶するのを見なければ、相撲関係者であることを忘れてしまいそうだ。
「ほかには、どんな仕事があるんですか」
「おもに事務手続きです。たとえば巡業で地方に行くときのバスの手配や行程の設定なんかは、私どもがやります。それから力士の結婚式の手配なんかもやりますね、席割りを決めたり、司会者と打ち合わせしたり、取り仕切るんです」
「えっ、そんなことまで?」
まるで芸能人のマネージャーではないか。
「力士の代わりにお礼状を書いたりもします。うん、そういった書類を作ることはよくありますね。あとは力士のいろいろな相談に乗ったり、番付表を筆で書いたり。場内放送も担当します。昔は巡業のたびに売上金をその場で勘定もしたそうですよ、1000万円とかを手で数えて」
「結構裏方の仕事が多いんですね……」
「読み書きそろばん行司の仕事、なんて言うくらいなんです」
土俵上で厳正に勝負を決める審判者というイメージは、どうやらだいぶ偏ったものだったらしい。
「最近の相撲は速くなりましたからね。ドキッとしちゃうときもあるし、下半身は鍛えるようにしていますよ。巻き込まれてケガ、なんてことのないように」
土俵の上ではとにかく足を見るのだと勘九郎さんは言う。
「勝負を見ることに集中していますから。負けを先に見るのが大事です。そのためには足元、足を見る。とはいえ足ばかり見ていても駄目で、ひょっこり手が出て勝負がつくなんてこともあるので、そのあたりは場数を踏んで勘で覚えるしかないですね。行司の所作や型は教えれば誰でもできるけれど、こういうことは教えてもできないし、教えられないものです」
とはいえ、目の前で力士同士がぶつかり合うわけである。はたしてきちんと判断できるものなのだろうか。僕なんて風圧だけで吹き飛ばされそうだが。
「陰になってしまったりして、見えずに間違ってしまうことはあります。ヤマ勘で軍配を上げることも、少ないですが、ゼロではないですよ。やっぱり目の前で観る相撲と、テレビで観る相撲は全然別物なんです。録画したものを観ていて、あの相撲は実はこういう相撲だったのか、と驚いたりもしますから」
「そういう間違い、ええと差し違えでしたね、それは結構あるものなんでしょうか」
「どうでしょうね。人によります。私の場合は5月にひとつ、星を落としてしまいましたが」
もっと精進です、とその横顔が語っている。星という言葉を使う勘九郎さんが、印象的であった。