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尊富士が休場で思い出される“春場所の無理”…当時の照ノ富士の“言葉”に疑問投げかける声も
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2024.05.10 16:46 最終更新日:2024.05.10 17:08
令和6年3月の春場所で、110年ぶりとなる「新入幕優勝」を成し遂げた大相撲の幕内・尊富士(たけるふじ 伊勢ケ浜部屋)が、夏場所(5月12日初日、東京・両国国技館)を初日から休場する。5月9日に発表された。
稽古後に師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)が報道陣の代表取材に応じ、「(尊富士は)四股も満足には踏めない。日々、治しながら。(完治までに)どのぐらいの時間がかかるかは、これからです。しっかり治さないと」などと語り、回復が遅れていることを認めた。
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「春場所、尊富士は14日目を終えて単独トップでした。星の差1つで大の里が次ぐ形に。しかしこの日、尊富士は朝乃山との取り組みで右足首を負傷してしまい、自力で歩くことができず救急車で病院搬送されました。
大の里との直接対決は終わっていましたから、千秋楽に尊富士が休場して負けがつき、一方の大の里が勝てば相星になり優勝決定戦になるのですが、尊富士は休場しているので大の里の不戦勝優勝という前代未聞の結末になるところでした」(スポーツライター)
しかし出場不可能と見られていた尊富士は足首をテーピングでがっちり固定して土俵に上がり、平幕の豪ノ山を破って自力優勝を決めた。
優勝後、尊富士は支度部屋で記者に「気力だけで取った。正直、無理だと思ったけれど、やってよかった。右足首のじん帯の損傷で歩くこともできずだめかと思ったが、この先、終わってもいいと思って土俵に上がった」と語っていた。
「尊富士から千秋楽出場の決意を聞いた伊勢ケ浜親方は『反対はしない。決めたことだからしっかりやれ』と言ったそうですが、決意の裏には同じ部屋の横綱・照ノ富士に『お前ならできる』と言われたことが大きいようです。
尊富士本人も『そのおかげで出ることを決めた。横綱の背中を見て育ってきたし、横綱の苦労も知っている。このけがで土俵に上がらなかったら男じゃないと思った』と語っていました。千秋楽に出たことでケガが悪化したかどうかはわかりませんが、横綱のこの助言には『(出場に)否定も肯定もしないほうが良かったのではないか』という意見があることも事実です」(前出・スポーツライター)
Xでは、大相撲ファンからも先場所の“決断”に疑問を寄せる声があがる。
《尊富士の怪我、ずっと引きずるなら千秋楽強行の背中を押した照ノ富士の責任は大きい》
《回復が長引いて、もし復帰できないとなったら、まさか「本人が決めたことなので自己責任」とは言えない》
《先場所優勝の代償とでもいうんかなあ。無理して千秋楽取ったもんな》
《このまま新入幕優勝の場所が唯一の幕内経験なんてことにならなきゃいいが》
これまでも横綱では、貴乃花や稀勢の里がケガをおして出場したことで状態が悪化、引退が早まったと言われている。焦らず完治させて、また豪快な相撲を見せてほしい。
( SmartFLASH )