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“虎ハンター”小林邦昭さん死去 初代タイガーマスクの最大のライバル「また昭和のプロレスの灯が」ファン悲痛

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2024.09.10 16:05 最終更新日:2024.09.10 16:05

“虎ハンター”小林邦昭さん死去 初代タイガーマスクの最大のライバル「また昭和のプロレスの灯が」ファン悲痛

小林邦昭さん(写真・共同通信)

 

 金曜午後8時に『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)が放送され、その視聴率が20%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を超えることが当たり前だった、1980年代前半。そんな新日本プロレスにおいて、初代タイガーマスクとの抗争で日本中をわかせた“虎ハンター”こと小林邦昭さんが、9月9日に死去していたことがわかった。68歳だった。

 

「小林さんは、1972年に新日本プロレスに入門。翌年2月にデビューし、メキシコでの武者修行を経て、1982年10月に帰国。当時、人気絶頂だった初代タイガーマスクとの抗争では、試合のたびにマスク剥ぎを敢行し、“虎ハンター”としてブレイクしました。初代タイガーとの一騎討ちは6試合だけでしたが、日本人選手最大のライバルとして大きなインパクトを残しました。

 

 

 その後、長州力率いる『維新軍』の一員として活動し、1984年には新日本を離脱。長州らと全日本プロレスに参戦すると、2代目タイガーマスクとも抗争を展開。1987年に新日本に復帰し、1989年にヘビー級に転向後は、越中詩郎らと『反選手会同盟(後の平成維震軍)』を結成しました。

 

 そんな小林さんは、1992年に1度めのがん(大腸がん)を患うも、手術を経て復帰。2000年4月に現役を引退すると、新日本プロレス道場の道場長などをつとめ、後進の育成に励んでいました」(スポーツ担当記者)

 

 小林さんは、がんサバイバーでもあった。1999年には、がんが肝臓に転移。その後も肺がんの手術を2度、受けたことを公表している。引退後も体を鍛え続け、2011年には「抗がん剤を打った帰りに道場で練習している」ことを明かすなど、その都度、がんを克服してきたが、ここ数カ月は、再びがんを患って闘病生活を送っていたという。

 

 小林さんの訃報に、X上では、

 

《最近、野毛道場の前にいつも停まってる小林さんの原付がないと思ってたら闘病されていたんですね、、、原付乗って買い出し行ってた姿を思い出します。お悔やみ申し上げます》

 

《また昭和のプロレスの灯がひとつ、、、小林邦昭さんのご冥福をお祈りいたします。合掌》

 

《御冥福をお祈りします赤いパンタロン姿が大好きでした》

 

 など、ファンからの悲しみの声が多数寄せられた。

 

 小林さんにお世話になった後輩レスラーたちも、こぞって悲しみのポストを投稿している。現在、世界最大のプロレス団体WWEで活躍するSHINSUKE NAKAMURAこと中邑真輔は、

 

《当時、道場の管理人になられた小林さんには自分を含め同期全員が道場でのイロハ、チャンコの作り方、時に稽古も…たくさんの事を教えていただきました。ご冥福をお祈りいたします。合掌》

 

 とポスト。さらに新日本プロレスの社長兼レスラーである棚橋弘至は

 

《小林さんは、2000年の4月に引退されたあと、道場の管理をしていただいてました。今の道場生まで、全員が、色んなことを教えていただきました。ありがとうございました。ご冥福をお祈りします》

 

 と、小林さんとのツーショットを添えて投稿した。また、新日本プロレス時代の小林さんの後輩で、元プロレスラーの武藤敬司は、

 

《新日本プロレスに所属していた時の先輩、小林邦昭さんが亡くなられた。ご冥福をお祈りいたします。最近訃報が相次いでいますが、俺はもう少し頑張って生きていこうと思います》

 

 とつづった。日本中のプロレスファンを熱狂させた小林さんと初代タイガーマスクの激闘は、プロレスファンに永遠に語り継がれていくはずだ。

( SmartFLASH )

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