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慶大野球部に異色の人材、医学部との両立選手誕生に業界ざわつく…清原正吾なきチームに期待の新星

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2024.12.04 19:30 最終更新日:2024.12.04 19:30

慶大野球部に異色の人材、医学部との両立選手誕生に業界ざわつく…清原正吾なきチームに期待の新星

医学部と野球部の“二刀流”に挑む長又隆智。慶應大学野球部のHPより

 

 野球における「慶應」の快進撃は、2023年8月23日に始まった。第105回全国高等学校野球選手権記念大会の決勝に進出した慶應義塾高は、仙台育英学園高を8‐2で破り、優勝を果たした。夏の甲子園での優勝は、慶應義塾普通部として優勝した1916年の第2回大会以来2度目の快挙。107年ぶりに真紅の大優勝旗が戻ったことになる。

 

 その快進撃は、慶應義塾高野球部の“兄貴分”である慶大野球部に受け継がれた。“弟分”の優勝からわずか2か月後、東京六大学秋季リーグ戦で慶大が4季ぶり、40回目の優勝を果たしたのだ。

 

 さらに1年後の東京六大学の春・秋のリーグ戦で慶大は優勝こそならなかったが、スポットライトを浴び続けた。話題の中心は、つねに4番・清原正吾(4年)だった。父はご存じ球界屈指のスラッガーで、通算525本塁打を記録した清原和博氏。父親譲りのパワーは本物で、最後の秋のリーグ戦では3本塁打を記録。残念ながら直前のドラフト会議では指名漏れとなったが、間違いなく彼の存在が、東京六大学野球のハイライトだった。

 

 

 これで「慶應」の快進撃もひと段落かと思いきや、そうはならなかった。今度は医学部の学生が野球部に入部したというのだ。桐蔭学園中教校出身の1年生で、長又隆智内野手だ。

 

「慶大医学部といえば私学大医学部のなかでは最難関と言われ、偏差値も72.5とトップです。彼は幼稚園年中から軟式野球を始め、中学は横浜緑シニアでは硬式を経験していますが、高校には硬式がなく、また軟式に戻った。そのため慶大入学後は、まず慶應高で練習して硬式に慣れ、晴れて6月に入部を認められました。どうやら彼は、将来的には整形外科医を目指しているようで、今後は解剖実習など実技の授業も入ってきます。両立は並大抵の決意ではできないでしょう。

 

 清原正吾が野球部から去った今、長又がどれだけ活躍するのか、注目されています」(スポーツライター)

 

 その長又は、『慶應義塾大学野球部ブログ』で「はじめまして。医学部1年の長又隆智です。桐蔭学園中等教育学校出身でポジションはサードです」と自己紹介をしている。さらに、医学部と野球部の両立については、「今まで慶應大学野球部には医学部の人が所属していたという前例がありません。そのため、勉強と野球を両立できないかもしれないという不安を抱いたこともありました」と苦悩を明かした。だが、長又は次のように決意のほどを語り、文章を締めくくっている。

 

「しかし、最終的には小学校の時からの『神宮でプレーをしたい』という思いが大きく、野球部への入部を決めました」

 

 慶大創立者の福澤諭吉は明治初期、『学問のすゝめ』で人間の自由・平等・権利の尊さを説いた。ただ、ひとりの人間としては、儀礼的な慣習や常識などにとらわれることを嫌っていたという。

 

 医学部と体育会の野球部の両立……。長又の言う「前例のない」試みこそ、福澤諭吉の目指していたものかもしれない。

( SmartFLASH )

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