スポーツ
安青錦、ウクライナから単身来日して “技巧派” 力士に…目標は「懸賞金で両親を東京に呼びたい」

3代目・若乃花の相撲を研究しているという安青錦(写真・梅基展央)
ロシアによるウクライナ侵攻から3年の月日が経過した。事態はいまだ混迷のなかにあるが、戦地から遠く離れた日本では、2人のウクライナ出身力士が注目を集めている。獅司(28)と安青錦(20)だ。今回は安青錦に話を聞いた。
安青錦は、2023年九月場所で初土俵を踏むと、2024年の十一月場所で十両に昇進。2場所連続で二桁勝利を挙げ、三月場所で新入幕を果たした。初場所から9場所での新入幕は、常幸龍と尊富士に並び、歴代1位タイのスピード昇進だ(付出デビューを除く)。
【関連記事:「プリキュアにも興味なし」レスリング金・藤波朱理の父が明かす「137連勝娘」の幼少期】
相撲を始めたきっかけを、本人はこう説明する。
「最初は柔道です。6歳のころから。そこで、相撲のレッスンもありました。土俵はなくて、マットの上でやりました。その後、レスリングも始めました。相撲がいいと思ったのは(勝負が)早いし、わかりやすかったから。それで、相撲がおもしろいと思ったんです」
「ウクライナで相撲はテレビでやっていなかったので、YouTubeで観ました。12歳くらいかな。あの相撲を見て、いつか自分も日本で力士になりたいと思いました」
初めて来日したのは2019年。大阪で開催された相撲の世界選手権に出場し、ジュニアの100キロ級で3位になった。15歳のときだった。ウクライナの大学に進学する予定だったが、ロシアの侵攻が始まったため、両親とともにドイツへ渡った。
「ドイツには2カ月ほどいました。それから一人で日本へ来たんです。相撲のために。お父さんお母さん、反対はしませんでした。自分は絶対に行くと決めていたし、もし反対されても行こうと思っていました。自分の人生は自分で決めないといけないです。自分が自分の道を選ぶんです」
2022年4月に単身で再来日。日本に来ても、大相撲の世界に入れるという保証はなかったが、そんな彼を助けたのが世界選手権で知り合った仲間だった。
当時、関西大学相撲部主将だった山中新大さんの家に居候し、関大や報徳学園高校の相撲部で練習生として稽古に励んだ。同時に、日本語教室にも通った。そして、報徳学園高相撲部の元監督に紹介されたのが、元安美錦の安治川親方だった。
2022年12月から安治川部屋の研修生となり、2023年九月場所で初土俵を踏んだ。
「日本に来てからもうすぐ3年です。最初は日本語、もう全然わからなかったですけど、少しだけわかるようになってから、どんどんわかるようになりました。
食べ物はなんでも大丈夫です。ラーメンもうどんもお寿司も。お酒も、ビールはちょっと苦手だけど、飲みます。でも、どんなうまいもの食べても、どんなうまい酒飲んでも、土俵で勝つのがいちばん嬉しいです」
現在、両親はドイツに、ウクライナに大学生の兄がいる。
「お父さんお母さん、お兄さんとも、連絡はよく取っています。自分がアマチュアで相撲をやっているとき、お父さんは相撲のことあんまり話さなかったけど、今はめっちゃ詳しくなりました(笑)。
お父さんお母さん、大阪には1回来たことあるんですけど、東京には来たことがない。だから、今度は東京に来てほしい。五月場所か九月場所か。幕内は懸賞金も出ます。頑張って、お父さんとお母さんを呼んであげたい」
182センチ、136キロの体は、東欧出身の力士としては大きくはない。東欧の力士に多いパワー型とは対照的に、重心が低く多彩な技を繰り出す技巧派だ。これまでの決まり手には裾払い、下手捻り、切り返し、内無双など、なかなか見られない技で勝つことも多い。
「この(安治川)部屋に入って本当によかった。師匠は『わからないことがあったら俺に聞け』と言ってくれるので聞くようにしています。この部屋じゃなかったら、たぶん関取になっていないと思う」
そう師匠への感謝を口にする安青錦。三月場所で目指すのは、勝ち越しはもちろん、二桁勝利だ。
「師匠は新入幕で敢闘賞を取っているんで、自分も10勝して敢闘賞を取りたいと思います」
新横綱・豊昇龍、そして2人のウクライナ出身力士。見どころ満載の三月場所は、9日に初日を迎える。
安青錦新大(あおにしきあらた)
東前頭十五枚目 本名はヤブグシシン・ダニーロ 2004年3月23日生まれ ウクライナ・ヴィンニツャ州出身 安治川部屋 182センチ、136キロ
コーディネート・金本光弘