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年俸500万円でメジャー挑戦した齋藤隆が明かす「37歳で日本人最速投手になれたわけ」重要なのは「歯」の治療だった

ドジャース時代の斎藤隆氏(写真:アフロ)
ご存じの方もいるかもしれないが、私が2006年にメジャーリーグに挑戦した時、ロサンゼルス・ドジャースとはマイナー契約で、かつスプリング・トレーニング招待選手という待遇だった。
メジャー昇格の保証など一切ない安い評価で、年俸は5万ドル。当時のレートで500万円だ。あえて繰り返すが、これは年俸だ。前年には2億円超の年俸を横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)からもらっていた。
昨今の日本人メジャーリーガーの契約に比べたら、鼻で笑われてしまうほどの金額だ。無謀と言われても仕方のない36歳のチャレンジであった。
5万ドルという金額は、齋藤隆という日本人投手をメジャーリーグは全く評価していないということを意味する。しかし、メジャーに挑戦して2年目の2007年シーズン、私は37歳でキャリアハイをたたきだした。球速は自己最速を大きく上回る99マイル(159キロ)をマークし、日本人最速選手になれた。
ロサンゼルスの気候やメジャーのマウンド、メジャーのボールなどなど、どれもが私に合っていたのは間違いない。だが、それらは全て表面上の話である。やはり、トレーニングを頑張ったからというのはあるだろう。
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■満身創痍…トレーナー南谷和樹さんとの出会い
私は肘の骨棘(こつきょく)除去手術と軟骨形成手術を2回受けている。1回は切開し、もう1回は内視鏡で行った。肩の手術は、関節唇(しん)の一部をカットして仕上げにシェービングを行った1回。それ以外に股関節の手術を1回の、計4回の手術をプロに入ってから行っている。このことからわかるように、私の身体は決して強くない。
1999年、横浜ベイスターズで先発として14勝3敗の成績を残した。先発としてのキャリアハイのシーズンだ。これは権藤博監督との出会いが大きかった。
それまでの自分は10勝しても10敗する、貯金を作れない投手だった。そして、2001年と2002年の2年間、クローザーとして47セーブを挙げた。どちらもスキルが上がったことによる成績アップで、フィジカルはまだまだひ弱だった。
そんな私の身体を変えてくれた方との出会いが2000年にあった。大阪府堺市にある阪堺病院のリハビリ室の室長、南谷和樹さんである。
南谷さんとのトレーニングは当時の最先端理論に基づき、大きな筋肉からインナーマッスルと言われる身体の深部にある筋肉にまでアプローチするため、時間がかかる根気のいるものだった。
そのトレーニングを、南谷さんは阪堺病院のリハビリ室で、一般の患者さんはもちろんのこと、アマチュアの野球選手やゴルファーなどにも指導していた。
南谷さんと出会ったのは、クローザーに転向した2000年オフ、肩のクリーニング手術を受けた後、直感的にリハビリを滅茶苦茶頑張らないと野球人生が終わるような気がして、阪堺病院を訪ねたのがきっかけだった。
それからは、試合と試合の合間に横浜から新幹線と南海本線を乗り継いで堺市まで通い、大阪遠征はもちろんのこと広島遠征の際にも休みを利用して来てもらい、外部施設でのトレーニングを細かくチェックしてもらった。
いざトレーニングが始まると、最低でも1時間、長い日は2時間以上も集中して2人でトレーニングルームに籠ることが当たり前になっていた。メニューは大きく分けて、
(1)上半身ウエイトとランニング
(2)下半身ウエイトとランニング
(3)肩のインナーとコアとランニング
この3パターンの組み合わせを1日おきに、3勤1休で行う。
シーズン中とキャンプ中はチームランニングがあるので絶妙なバランスを取りつつ、シーズンオフはウエイトの重量やレップ数(反復回数)などのボリュームを上げ、私専用のハードな完全オリジナルメニューを作ってくれた。今では珍しくないが、南谷さんは私のいわゆるパーソナルトレーナーだった。
■歯の治療の重要性
南谷さんとのトレーニングを本格的に始めてから、身体を鍛える上でとても気になる場所が一つ出てきた。それは「歯」だ。厳密には歯の噛み合わせである。
見た目の話ではなく、投げるため、出力時やリリース時のため、加えて、投げる時に僧帽筋をできるだけリラックスさせて立ちたいためだ。
身体のパーツで一番重い頭を、リラックスした状態で身体の上に乗せておきたい。その理想的な立位を実現するためには、脊柱起立筋と僧帽筋の過度な緊張は大敵だ。そして、その姿勢を作って保つためには、噛み合わせがとても重要だと気づいた。
私は「気をつけ」の姿勢で、ちょっとだけ顎が上がる。それを整えるためだけに、メジャーに行ってから、毎年シーズンオフに日本で噛み合わせの調整に50万円をかけていた。
調整とは具体的に言うと、噛み合わせて力を入れる時に顎が上がらないポジションを作るため、歯に数ミリ足したり歯を数ミリ削ったりを行うことだ。
先生に「これでどう?」と言われたら、治療椅子から立ち上がり、片足時のバランスや並進時の体重移動などの確認を行う。歯が少し強く当たりすぎたら、また椅子に座って先生が歯をミリ単位で調整し、再び確認のために立って片足を上げる。これを何度も何度も繰り返す。
その上でトレーニングをして、違和感があれば数日後にまた歯科医院に行き、感覚を伝えて調整してもらう。シーズンオフは、これを何度となく繰り返していた。
この金額が適正かどうかはわからない。が、シーズンオフのトレーニング期間中に違和感を覚えたら、微調整のために繰り返し歯科医院に通い詰めた。
シーズンオフには、トレーニングは言うまでもなく、シーズン中に活躍するために必要な準備は漏れなく行っていたが、それでもイレギュラーな出来事は起こる。
2007年のシーズン中、歯の痛みを感じたのでドジャースのトレーナーにロサンゼルスの歯医者を紹介してもらった。診断の結果、神経を抜かなければならないと言われた。シーズン中に神経を抜く治療を行うと、シーズンオフに整えた噛み合わせが変わる心配もあったが、結果は問題なく、治療を終えた。
最後に被せるセラミックの歯に「好きな文字を入れられるよ」と言われ、迷わずドジャースの帽子のロゴマークの文字を入れてもらった。
2007年は、自身のキャリアハイシーズンになったが、身も心も歯もドジャースに捧げたからかもしれない。
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以上、齋藤隆氏の新刊『37歳で日本人最速投手になれた理由 これからの日本野球』(光文社新書)をもとに再構成しました。NPBもMLBも知り尽くした著者による野球論です。
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