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長男は「大の里のファン」…小結・髙安 人間国宝から贈られた「百折不撓」で大関復帰だ!

部屋の前でポーズを取る小結・髙安(写真・高橋マナミ)
五月場所で8場所ぶりに小結に復帰した髙安(35)。2005年の三月場所、15歳で初土俵を踏んでから20年ーー。
「小学4年から野球をやっていて、甲子園に行って、将来は野球でメシが食えたらと思ってました。好きなチームは巨人。ドミンゴ・マルティネス選手に似ていたので、あだ名は『マルちゃん』でした」
しかし、中学3年のときの担任教師のひと言が、人生を大きく変えることになった。
「個人面談のとき、『体が大きいから相撲をやったらおもしろいんじゃない』って言われたんですよ。ちょうど、稀勢の里関(現・二所ノ関親方)が新入幕のときでした。それで鳴戸部屋に見学に行ったら、そのまま捕まりました(笑)」
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元横綱・隆の里が親方を務め、角界一の猛稽古で知られていたのが鳴戸部屋だった。当時、4人の関取がいた。
「体が大きかったので、そこそこ自信はあったんですよ。でも、自分より体の小さい先輩に簡単にぶん投げられるんです。これはとんでもないところに来ちゃったなと」
番付はなかなか上がらず、三段目に上がるまでに2年近くを要した。
「そのころ、父が体調を崩したんです。がんでした。大きな手術をして大変だったんですが、そんな父に『頑張れ』と言われたのが身に沁(し)みました。そこからですね、稽古を一生懸命やるようになったのは。それから番付も上がって、俺もこの世界でやっていけるかもしれないと思いました」
父は治療が奏功し、今も元気だという。髙安は2010年九月場所、幕下で全勝優勝し、十両に昇進。2011年七月場所で新入幕と順調に出世していくが、同年十一月場所直前に、鳴戸親方が急逝してしまう。
「先代の師匠に教わったのは土俵際、俵の美学ですね。俵に足がかかったら絶対に下がってはいけない、俵の外は断崖絶壁だと思えと。先代が亡くなってからは、部屋を移ったりといろいろありましたが、師匠(田子ノ浦親方)には、こうして相撲が取れる環境を作ってもらい、大関にも上がれましたし感謝しています」
一方、相撲人生において財産となったのは、兄弟子・稀勢の里の存在だという。
「自分の3歳上で、入門したときはもう関取でした。自分は脱走ばかりしていたので、まったく相手にしてもらえませんでした。しかし、稽古をしっかりやって体も大きくなると、稽古をつけてもらえるようになりました。あのころは一日100番くらい稽古していたと思います。稀勢の里関とは何万番、いや何十万番はやっていると思います」
感謝しているのは弟弟子だけではない。2017年一月場所、稀勢の里が初優勝を果たしたとき、「髙安のおかげ」と口にしている。稀勢の里が横綱に昇進した2017年三月場所。13日目に大怪我をするも、決定戦で逆転優勝。その瞬間、弟弟子は支度部屋で人目をはばかることなく泣いていた。
「横綱の胸が真っ青になっていたのを覚えています。大胸筋が切れて内出血して、胸が一面紫色なんです。それでも、本割でも決定戦でも勝ってしまうんですから衝撃でした」
その姿に感化された髙安は、2017年七月場所で大関に昇進。だが、相次ぐ怪我の影響で、2020年に大関から陥落した。
一方、同年に歌手の杜(もり)このみさんと結婚。2021年に長女、翌年に長男が誕生した。
「長女は相撲を観ていて、懸賞金をもらうのも知っているんです。勝って家に帰ると、『シンデレラのドレスが欲しいな』ってねだられます。長男は……大の里のファンです。先場所の優勝決定戦のときも長男は『おおのさと〜』って言っていたらしいです」
その三月場所は、優勝決定戦で大関・大の里に敗れ、初優勝とはならなかった。これまで決定戦は3度経験し、いずれも敗れている。
「優勝はもちろんしたいです。ただ、その前に大関に復帰するという目標があるんです。だから先場所、優勝はできなかったけれど、二桁勝ったという達成感があった。三役に戻って、大関を目指せるという。だから、今は安定した相撲を取ること。入門したときから目指すのは横綱です。それは今も変わりません」
髙安がテーピングなどを入れるケースには、「百折不撓(ひゃくせつふとう)」という文字が書かれている
幾度失敗しても志を曲げないーーという意味で、浄瑠璃の人間国宝・鶴賀若狭掾(つるがわかさのじょう)さんから贈られた言葉だという。
“大関再昇進” を目指す髙安は、変わらぬ志を胸に今日も土俵に立つ。
写真・高橋マナミ
コーディネート・金本光弘