スポーツスポーツ

長嶋茂雄さん、医療従事者も過去に舌を巻いた「驚異の回復力」…“スゴ腕主治医”は故・渡辺恒雄氏も担当

スポーツ
記事投稿日:2025.06.07 15:57 最終更新日:2025.06.07 15:57
出典元: SmartFLASH
著者: 『FLASH』編集部
長嶋茂雄さん、医療従事者も過去に舌を巻いた「驚異の回復力」…“スゴ腕主治医”は故・渡辺恒雄氏も担当

2009年、パーティに参加した長嶋茂雄さん

 

 6月3日に亡くなった長嶋茂雄さん。89才だった。晩年の長嶋さんの様子を、長嶋家に近い関係者が明かす。

 

「長嶋さんは2022年9月に自宅で尻もちをついた際、後頭部を打って緊急入院。以来、そのまま病院で療養生活を送っていました。とはいえ、自宅に帰ることができない状態だったわけではありません。設備のととのった病院の方が快適に過ごせるからです」

 

 読売巨人軍の終身名誉監督でもある長嶋氏には、読売新聞本社から専用車が充てられていた。

 

 

 長嶋氏は年間、200回以上もイベントや会合、会食の為に外出をしていたという。そのため、病院近くのホテルには運転手が泊まり込むこともあった。ただ、2025年5月初めに急性肺炎になり、一時は集中治療室(ICU)にも入った。一度回復が兆候はあったといい、実際、ICUを出た時期もあった。だが結局、再びICUに戻ってからは意識が戻ることがなかったという。

 

 長嶋氏に最初の病魔が襲ったのは2004年3月。五輪の野球日本代表の監督在任中のことだった。自宅に一人でいた時に脳梗塞の中でも最も後遺症が大きい心原性脳塞栓症を発症。東京女子医大に緊急搬送され、1カ月の入院生活を送った。退院後も言語障害と右半身にマヒが残る状態だった。先の関係者が続ける。

 

「マヒの程度を評価するステージ『ブルンストローム』は上肢、手足、下肢のすべてが最重度のステージ6。担当医だった内山真一郎医師からは、『寝たきりも覚悟してください』と言われたといいます。ところが、入院2週間後には、介助は必要なものの、立ち上がって歩いていた。これには病院関係者も目を丸くしたと言います。治療の成果もあるにしろ、やはり長嶋氏の人並外れた身体能力の強さの結果としか言いようがない、ということでした」

 

 退院後は都内にある別のリハビリ専門病院に通い、機能回復トレーニングを受けた。

 

「最新のトレーニングマシンを使うトレーニングは、ペダル漕ぎやランニングマシン、プレス機械を使った筋力トレーニングなど、ハードなものでした。長嶋さんは、『リハビリじゃないです。筋トレです』と、むしろ楽しげだったと言います。病院スタッフはとにかく、やり過ぎに注意していたようです。驚異的な回復を見せた長嶋さんですが、以降も通院していたと聞きます」(読売新聞関係者)

 

 その後出会ったのが、後年に長嶋氏の“主治医”として知られるようになる大木隆生医師なのだ。

 

「大木医師は読売新聞主筆の故・渡辺恒雄氏の主治医でもありました。慈恵医科大では磁気によって大脳の神経活動性を活発にする『TMS』という最新の医療機器を導入していました。長嶋氏はこの治療を渡辺氏の勧めで受けることになったようです。

 

『TMS』の担当医は別の医師ですが、大木医師が2007年から慈恵医科大附属病院の外科学講座のチェアマンになっていたこともあって、『ナベツネさんに(長嶋さんを)頼まれた』と、大木医師が事実上の主治医として辣腕を振るいました」(同前)

 

 慈恵医科大出身の大木医師は、32歳で米名門医科大のアルバートアインシュタイン医科大学の教授に就任。特に、大動脈瘤の中でも不可能とされていた弓部および腹部大動脈瘤への人工血管、ステントグラスト挿入術に成功した世界的にも数少ない医師で、同分野では「全米1」の称号を得ていたという。2004~2007年に「Best Doctors in NY」に4年連続選出され、日本に軸足を置いた2009年には、『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK)で特集された。米国在住当時は、年収も100万ドルを超えていたというが、母校の改革の為に慈恵医科大に復帰。「年収が10分の1になった」と大木医師自身が認める異例の復帰だった。

 

 長嶋氏が胆石を患い緊急入院をした2018年には、一時、死亡説も流れメディアが確認に走った。さほど深刻な病状ではなかったとされるが、実際の入院生活は5カ月にも及んだのだ。

 

「胆石は確かに重篤ではなかったようです。しかし、誤嚥性肺炎を起こしたのではないかと病院内では噂されていました。はっきりとした病状が判らないのは、担当医と担当看護師しか電子カルテにアクセスできないようになっているからだと言われています。病院には政治家や芸能人、文化人など情報漏れによる影響が大きい患者さんもたくさん、入院されます。それでも、長嶋さんだけは特別の配慮でした」(同前)

 

 長嶋さんは、最後まで「ミスター」だった――。

12

今、あなたにおすすめの記事

スポーツ一覧をもっと見る