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元関脇・益荒男の「わが生涯最高の一番」1987年の千代の富士戦

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.01.11 11:00 最終更新日:2019.01.11 11:00

元関脇・益荒男の「わが生涯最高の一番」1987年の千代の富士戦

 

「昔はいまよりも強い力士がいっぱいいたんだ」


 
 かつての猛者たちは口をそろえてこう語る。元関脇・益荒男で、現・阿武松親方(57)が、かつて繰り広げた、記憶に残る「名勝負」を振り返る。

 

「これしかないという会心の一番。最高の思い出です」

 

 

「白いウルフ」の異名をもっていた男が語るのは、「元祖ウルフ」を倒した一番。

 

千代の富士関は憧れの存在でした。腕立て伏せがすごいんですよ。あんなふうにできるようになれば、私でも幕内に上がれるんじゃないか。私も、体は大きいほうではなかったですからね。そう思って必死にやりました」

 

 新入幕は24歳のときだが、しばらく十両と幕内を行き来する状況が続いた。

 

 大きく注目を集めたのが、1986年の11月場所。11勝を挙げ、初の敢闘賞を受賞したのだ。4度めの入幕にして、初の勝ち越しだった。そして迎えた1987年1月場所、初の千代の富士戦。

 

「対戦できたときは、そりゃあ嬉しかった。自分の持っている力をすべて出しきろうと思いました。右を差してなんとか粘ったんですが、最後は寄り切られました」

 まともに組んで勝てる相手ではない。どうやったら勝てるのか。

 

「千代の富士関とは右の相四つ。相四つで力の差がかなりある場合は、力が上の人のほうが有利です。そこで、左から入って右で、『もろ差し』狙いでいくことにしました。考え抜いた末の相撲です」

 

 3月場所、2度めの対戦。立合いからがむしゃらに攻めた益荒雄が、押し出しで大横綱に土をつけた。

 

「あの一番が、私に自信を与えてくれたんです」

 

 この場所、2横綱4大関を撃破し、殊勲賞。5月場所でも再び千代の富士を破って殊勲賞と、4場所連続で三賞を受賞。角界に「益荒雄旋風」が吹き荒れた。

 

 だが、同年9月場所の取組中に、右膝に大怪我を負い、途中休場。その後は、引退まで怪我との戦いが続いた。

 

「私が上位で暴れられた期間というのは本当に短いものでした。ただ、短くはあっても、ああやって第一人者である横綱に真っ向勝負で勝てた。そのことが、私にとっては非常に大きな自信となり、財産になったんです」

 

○益荒雄(押し出し)千代の富士●【1987年3月場所7日目】


元関脇・益荒雄/現・阿武松親方
(ますらお/おうのまつおやかた)
1961年6月27日生まれ 福岡県出身 1979年3月初土俵。生涯戦歴387勝329敗86休。三賞受賞5回。1990年引退。1994年、阿武松部屋を創設。弟子に阿武咲など。現在は相撲協会理事

 

(増刊FLASH DIAMOND 2018年11月10日号)

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