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やるからには一番上を「貴景勝」貴乃花から学んだ相撲道を語る
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.01.15 06:00 最終更新日:2019.01.15 06:00
2018年の11月場所、13勝2敗で初優勝を飾った、22歳の貴景勝。身長は、幕内で2番めに低い175cmだが、強烈な突き押しを武器に快進撃を続けた。初土俵から26場所での賜杯は、史上4位のスピード記録だ。さらに、170cm台の力士の優勝は、1998年の琴錦以来、なんと20年ぶり。
「自分の相撲を貫いていけばいい、貫けば道は開ける。それを確認できたのが、あの優勝だったと思います。
小学校のときから、ずっと突き押し相撲でやってきました。自分は身長が低いので、大きい相手に差したら、勝つのは難しいですから」(貴景勝、以下同)
相撲を始める前は、空手で日本一を目指した。しかし小3時に、全国大会決勝で不可解な判定負けを喫したことで、「判定ではなく勝敗がはっきりしている」という理由から、相撲へ転向。「やるからには一番上を目指す」と、父・一哉さんと誓った。
「あのころは稽古も厳しかったですが、食事のほうがきつかったですね。『びっくりドンキー』の看板を見るのも嫌なくらいでしたから」
地元の相撲教室に通いながら、自宅でも四股を踏み、稽古後には450グラムのハンバーグ3枚にご飯大盛り、あるいは牛丼特盛3杯、そんな食事を父から課せられた。小学校の卒業文集には、「20歳で横綱、優勝は35回以上」と、将来の目標をつづった。
そんな父との二人三脚で、中3のときに、中学生横綱のタイトルを掴んだ。その決勝での相手が、青森の打越奎也、現在の阿武咲(前頭六枚目)だった。
「年が同じで、小学校のときから知っていました。強くて有名でしたからね。もちろん、彼がいたから頑張れたということはありますけど、ライバルというのも少し違う。
ただ、やっぱり負けたくないという気持ちはあるし、いい刺激を与えてくれる存在ではありますね」
中学卒業後は自宅を離れ、埼玉栄高に進学。言うまでもなく、相撲界のエリート校だ。
「あの時点でプロという選択肢もあったとは思うんですが、15歳で人生を決める、その強さ、気持ちがなかったんです。
しかし、高校ではいい先生にも恵まれて、力をつけることができた。栄での経験はけっして無駄ではなかったと思います」