●栗山英樹、古田敦也
かつての教え子たちにも厳しかった。2016年の日本シリーズで、日ハムが広島を4勝2敗でくだし、日本一に。このときの優勝監督が、ヤクルト時代の教え子・栗山英樹だった。
「第5戦、サヨナラ本塁打で日ハムが勝ったけど、お立ち台で栗山が泣いただろ。シリーズの途中で泣いた監督は、プロ野球の歴史で初めて見た。男の涙というのは、周囲を納得させなければいけないんだよ。リーダーがしっかりしなければ選手はついてこない。
古田敦也にしてもそう。あいつはヤクルトの監督をやめてから、一度も挨拶に来ない。監督としてというより、社会人としての資質に欠けている」
●岩隈久志、鈴木啓示
話は楽天時代のエース、岩隈久志にも及んだ。
「彼は常に『どこかが痛い』と言う。まわりは『エース』と呼ぶけど、ローテの軸として計算ができなかった。最初に入ったチーム(近鉄)が悪かったと思う。
かつて近鉄には、鈴木啓示という大エースがいた。鈴木は、優勝争いの天王山の試合終盤、『彼を投入すれば勝てる』という試合でも投げなかった。当時の西本幸雄監督に聞くと、『無理をして怪我したら誰が面倒を見てくれるんだ』と言ってたと。
その考えを、岩隈は受け継いでいる。2人に『チームのため』なんて気持ちは微塵もない。すべては自分のため。だから、岩隈をエースとして認めなかった」
こうした野村氏の “悪口” を、取材のたびに「書いてもいいですか?」と聞くと、「オフレコや、俺が天国に行ってから書け」と笑うのが常だった。
インタビューのなかで唯一、野村氏がべた褒めする人物がいた。長年連れ添い、2017年に急逝した沙知代夫人である。
「俺はサッチーと知り合い、再婚したわけだが、彼女は “略奪婚” だと、マスコミに叩かれたんだ。
でもそうじゃない。元嫁とは夫婦関係が破綻していたし、俺は元嫁に、不信感を抱いていたんだ。サッチーは、そのへんの事情をいっさい言わなかった。ずっと耐え忍ぶ、強い女だったなあ。だから惚れたし、ずっと寄り添えたと思う。
その彼女が、いなくなって寂しいよ。俺も早くあの世に行きたいんだけど、サッチーが『もう少し頑張りなさい』と背中を押してくれているみたいなんだ。だから、もうちょっと頑張るよ」
これが本誌のインタビューで、最後に発した言葉だった。
野村氏の死因は、虚血性心不全。奇しくもサッチーと同じだった。天国でサッチーが「もう、頑張らなくていいわよ」と、ささやいたのかもしれない。
(週刊FLASH 2020年3月3日号)