ラッシャー板前さんは、いまから35年以上前、明石家さんまさんの付き人をやっていたそうです。意外な話だったので、ご本人に当時の様子を聞いてみました。
「俺がたけしさんの付き人をやっているとき、ちょっと後から『たけし軍団』に入ってきた弟子が、たけしさんの付き人をやることになって。
俺はやることがなくなって、たけしさんが『さんまちゃんが東京に来たとき、ラッシャーをさんまちゃんにつかせてくれ』とお願いしてくれて。それで、さんまさんにつくことになったの」
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その頃のさんまさんは東京ではまだホテル住まいでした。
「さんまさんはホテルに住んでいるから、荷物も多いんです。けど、絶対、俺にバッグを持たせてくれなかったのよ」
さんまさんがラッシャーさんにバッグを持たせなかった理由は、さんまさんの修行時代にまでさかのぼります。
修行時代のさんまさんが笑福亭松之助師匠のカバンを持とうとしたときのことです。松之助師匠は「俺のカバンは持つな。俺のカバンは俺が持つ。俺のカバンを持って噺がうまくなるわけがない。そんなことしている暇があったら、外を歩いて世間を見ている方がためになる」と助言してくれたそうです。
その師匠の言葉から、舞台や映画を見たり近所の公園にいた女の子を笑わせたりして、芸人として必要な財産を築いていったと、『誰も知らない明石家さんま』(日本テレビ系、2019年12月1日)で放送されていました。
ラッシャーさんにさんまさんがカバンを持たせなかったのは、松之助師匠の考えをさんまさん自身も受け継いでいたからかもしれません。
実は、さんまさんの付き人をやるとき、たけしさんからさんまさんにお願いがあったとラッシャーさんは言います。
「たけしさんはさんまさんに『ラッシャーに絶対にお小遣いはあげないでね。お金は俺が渡してるから。さんちゃん、それは約束だよ』って。そしたらさんまさんも『わかりました』って。
でも、さんまさんは俺に『ラッシャー、悪いけどたばこを1カートン買って来てくれるかな』って、俺に1万円を渡すんですよ。あの頃は1箱250円ぐらいだから2500円でしょ。
それでお釣りの7500円を渡そうとすると、『次回のために取っといて』って。また次に会ったとき、『1カートン買って来て』って1万円を渡そうとするから、俺が『先日のお金があります』って言うと、『そんな昔のことは忘れたわ』ってまた1万円くれるんですよ」
ほかにも、1000円ぐらいのタクシー代でも、必ず1万円を渡し、お釣りは絶対受け取らなかったそうです。
さんまさんは、「お小遣いを渡さないでくれ」というたけしさんとの約束を守り、お釣りという形でお金を渡していたのです。いやいやさんまさん、カッコよすぎます。
取材・文/インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・ライター・お笑いジャーナリスト
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