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神田伯山、尊敬する談志師匠がいないことは「僕の講談にとって幸せかも」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.06.26 16:00 最終更新日:2021.06.26 16:01

神田伯山、尊敬する談志師匠がいないことは「僕の講談にとって幸せかも」

キャプ「翁そば」東京・浅草にて

 

 走り梅雨の5月――。

 

 足もとが悪い午前だが、浅草演芸ホールの客席は半分ほど埋まっていた。学生らしき姿も。客の一人が「今日は伯山先生が出演されるので」と笑顔で語った。

 

 その伯山が高座に上がる。地鳴りのような拍手。ネタは「源平盛衰記 扇の的」だ。

 

「今日は千葉テレビさん(の収録)が入っているので、みんな(前をつとめた芸人)力が入って私の持ち時間が少なくなりました。ふざけるな、千葉テレビ(笑)」と言うや、釈台を張り扇で打つ。その瞬間、一気に「神田伯山の講談」に引き込まれた。

 

 

 高座をつとめた後「寄席にお客様が来てくださるのは本当にありがたい」と語る伯山と向かったのは、多くの芸人たちが贔屓(ひいき)にする、大正3年創業の老舗「翁そば」。

 

 伯山は小上がりに座り「大好きなんです。こればかりになってしまいます」という「冷やしきつね」の大盛りを注文。さらに、餅をトッピング。濃いめの出汁と太いそば、お揚げは三角形だ。

 

「前座のころから通っています。そのころはよく先輩芸人さんにご馳走していただきましたね。今はご馳走する立場になっちゃいました。そばは健康食だから太り気味の僕にとって罪悪感がない食べ物なんです」

 

 伯山は講談師を「絶滅危惧職」と表現する。落語と比べて世間的な認知度は低い。伯山は高校生のときに『ラジオ深夜便』(NHKラジオ第一ほか)で三遊亭圓生の「御神酒徳利(おみきどくり)」を聴き、落語に傾倒していた。

 

「40分くらいの長講でしたが高校生にもわかりやすく『本当の名人は大人も子供も(落語の世界に)巻き込むんだ』と思いました。この経験が僕の寄席演芸の原体験です」

 

 それから大きな出会いが。大学受験に失敗した浪人中に立川談志さんを知る。

 

「談志師匠の落語を聴いて震えました。とんでもないものを体験してしまったというカルチャーショック。自分の人生であれほどの衝撃はないです。弟子入りを考えたほどですが『もしかしたらこの思いは若いゆえの過ちかも』なんて考えましてね。臆病だったんです。石橋を叩いて渡るというか。結果、大正解だったのではないでしょうかね(笑)」

 

 伯山が聴いた談志さんのネタは「らくだ」。真打の大ネタだ。そして、伯山は気づいた。

 

「談志師匠の『らくだ』は行き着くところ人間の哀しさや奥深さを表現する講談的なところがある」と。

 

 寄席で講談にも親しんでいた伯山は、大学卒業直後に「明快でおもしろい。そして重厚で柔らかい」と尊敬していた神田松鯉(しょうり)の門を叩く。

 

■入門から4年、地獄だった前座時代

 

「師匠の松鯉を聴いていなければ講談師になっていなかったでしょう。談志師匠とは違うベクトルで衝撃的な芸でした。松鯉は自分を律する力が強く、人格者で、寛容と厳しさを持っていました。弟子にネタを教えるために割く時間を惜しまない、僕の理想の講談師像でした」

 

 だが、入門後4年間の前座時代を地獄だったと振り返る。

 

「気が利かないダメな弟子でしたから皆さんに迷惑をかけましたが『前座はこうするべき』(と学ぶこと)に馴染めなかったんです。

 

『4年たてば二ツ目になりあなたを認めます』というルールですが、最後の半年はおかしくなりそうでした(笑)」

 

 二ツ目になり「前座の必要性」が理解できたという。「芸人は当たり前のことができない集団、よく言えば『個性的な生き方しかできない人』がなるのにふさわしい仕事なんです。本質的にチームプレーとか調和ができない。

 

 でも、寄席などは最低限そこが必要で、それを学ぶのが前座時代なんですね」

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