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ホンジャマカ・石塚英彦、笑顔あふれるキャラの生みの親は三谷幸喜だった
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.07.05 20:00 最終更新日:2021.07.05 20:00
これまで数多くの大作の脚本を手掛け、2022年放送の『鎌倉殿の13人』(NHK)は、自身3作めの大河ドラマの脚本となる三谷幸喜さん。
いまや日本を代表する脚本家の三谷さんも、1984年に大学を卒業してからの4〜5年は苦労したそうです。
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大学在学中から劇団『東京サンシャインボーイズ』を結成していた三谷さんですが、卒業後はお客さんも入らずうまくいきませんでした。そこで劇団以外の作家の仕事も始めたそうです。
先日亡くなられた漫画家の富永一朗さんが出演していた『お笑いマンガ道場』(中京テレビ)の放送作家や、ドリフターズのコント作家(台本が長すぎて1度も採用されなかった)、『サザエさん』の脚本など多種多様な作家業を経験しています。
三谷さんが書いた『サザエさん』(フジテレビ)の脚本は、ストーリーが尖りすぎていたと、本人が『太田上田』(中京テレビ)にゲスト出演した際に話していました。
「タラちゃんが筋肉増強剤を使ってムキムキになってオリンピックに出る話を書いて、『お前はサザエさんの心がわかってない』と怒られてクビになりました」
ほかにも、下積み時代、三谷さんは中山秀征さんや石塚英彦さんが所属していたお笑いグループの作家もやっていたと、筆者は石塚さんを取材したときにお聞きしました。
「僕も所属していた『ビッグサースデー』という事務所が作ったお笑いタレントグループがあって、そこに三谷さんが作家で入ってくれていたんです」
当時石塚さんは、いまのようないつもニコニコしているキャラクターではなかったそうです。しかしそれを変えてくれたのが三谷さんだったと言います。
「僕はお客さんを見る勇気がなかったんですよ。だからサングラスをかけてネタをやってました。泣きそうになっても、お客さんにわかんないと思って。
でも、サングラスだけだと、ただ単にタチの悪い人になるので、髪型もリーゼントの不良キャラにして、笑わない客に怒ったりしてました」
お客さんに怒るなんて、現在の石塚さんのキャラクターからは考えられません。
「『桃の缶詰ください。応答(黄桃)願います』って言ってウケなかったら、お客さんに『わかんねぇのか、この野郎!』って(笑)。
『桃の缶詰は黄色い桃で黄桃だろ? それに応答願いますがかかってんじゃねぇか。この野郎!』って。怒鳴りながらネタのどこが面白いのかをゆっくり説明するんです(笑)」
ネタがダジャレなのは、いまも名残があるものの、『わかんねぇのか、この野郎!』という毒舌キャラだったのです。
そんなある日、作家だった三谷さんが石塚さんに助言してくれたと言います。
「石塚君はどうしても緊張しちゃうから、ちゃんとキャラクターを設定したら絶対うまくできるから、って。
そして、三谷さんはそれまでと逆の、低姿勢な『旦那、勘弁してくださいよ~』みたいな下手にでるキャラのネタを作ってくれたんです。
三谷さんが書いてくれたとおりやってみたら、『俺はこれを演じてるだけだから、恐怖心もないし何でもできるな』と思って。それをわからせてくれたのが三谷さんなんです」
こうして、いつも笑顔で低姿勢の石塚さんのキャラが出来上がったといいます。
その後、三谷さんは多岐にわたる作家業をすべてやめ、演劇の仕事に専念しようと決めました。
すると1988年に知り合いのディレクターからコメディドラマ『やっぱり猫が好き』(フジテレビ)のオファーがあり、そこからドラマの世界で注目を集めるようになったのです。
『サザエさん』から大河ドラマまで、三谷さんの仕事の広さには驚かされますね。
インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。