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“性加害”香川照之「男尊女卑」の原点 両親の離婚、歌舞伎役者を継げなかった時代に抱えた「父への執着」

エンタメ・アイドル 投稿日:2022.09.04 16:45FLASH編集部

“性加害”香川照之「男尊女卑」の原点 両親の離婚、歌舞伎役者を継げなかった時代に抱えた「父への執着」

 

 女性への「性加害」が「デイリー新潮」に報じられた、俳優の香川照之。情報番組のMCは降板となり、出演CMは続々と放映中止になるなど、“降板ドミノ”が止まらない状態だ。

 

 さらに、女性スタッフへの殴打疑惑の報道まで「週刊文春」に報じられた香川。かつて出版したエッセイのなかで、自身の中にある“男尊女卑”の意識について書いていた。

 

 

 香川は1965年、歌舞伎役者・市川猿之助と女優・浜木綿子との間に生まれたが、すぐに両親は別居し、自身が3歳のころに離婚。それ以来、父とは会えず、歌舞伎役者の家業も継ぐことはできなかった、と述べた後の記述である。

 

「日本では良きも悪しきも当たり前だった『男尊女卑』という姿勢が、戦後『最も愚かしいもの』として多くのフェミニストから急追され、二十一世紀の今や、強い女性・働く女性・家庭に入らない女性像へと組み代わり、この『女性の男性化』によるシングルマザーの急増や、男子よりも女子を産みたいと望む夫婦の台頭などが、『家』とは男子を継承していく歴史なのだというこの国の古来の伝統を『そんなものは古くさい』『いらない風習なのだ』と端に押しやってしまった感がある」(『日本魅録2』キネマ旬報社より)

 

 正統な形で歌舞伎役者になれかったのは「強い女性」すなわち「母」のせいだ、という複雑な感情とともに、著書には「男の系譜」へのこだわり、そして「父」への想いが繰り返し綴られている。

 

 また、父親不在の家庭で育った香川は「自分には『男』としての大切な何かが欠落しているのではないか」という疑問を抱えて生きてきたという。ノンフィクション作家の石井妙子氏は、自著『日本の血脈』のなかで、だからこそ香川は「男」そして「父」に執着し、希求するのだと述べている。

 

 1995年、香川は元CAの女性と結婚。2004年に待望の第一子である男の子を授かった。長男について、前掲のエッセイの第1巻である『日本魅録』のなかで、「父親の知らない私」はこの子のために「どんな導きをしてやれるか」と述べたあと、こう続ける。

 

「もらったタスキを誰かに渡す責任――甘えてはいられない。私には自分の息子に父親としての生き様を見せ、後継ぎの系譜を残す使命がある」

 

 2008年のカンヌ映画祭で登壇した際、香川は長男を抱き上げながら、「息子の将来についてですが、俳優になることが最低条件であると考えています」と宣言。さらにその後は、「子供は歌舞伎役者にしたい」と明言するようになった。

 

 そして2011年、香川は長男が5代目市川団子を、自身は9代目市川中車を襲名することを発表。ついに悲願の歌舞伎界入りを果たしたのである。

 

 若き日の不遇を母の責任にして、男、そして家業にしがみ続けてきた香川。“家”の存続は当然、女性がいなければ不可能なのだが、それでも彼の意識からは抜け落ちた“下位”の存在だったということか。

( SmartFLASH )

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