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小林幸子が動画界の “ラスボス” になるまで…ニコニコ動画で『歌、うめぇ!』と反応されカルチャーショック

エンタメ・アイドル 投稿日:2022.09.05 16:00FLASH編集部

小林幸子が動画界の “ラスボス” になるまで…ニコニコ動画で『歌、うめぇ!』と反応されカルチャーショック

 

 9月1日放送の『ダウンタウンDX』(読売テレビ系)に小林幸子さんがゲスト出演。『芸能人YouTuber大集合SP!』というテーマだったこともあり、小林さんは出演メンバーのなかで断トツの最高齢68歳でした。

 

 小林さんのYouTubeチャンネル『YouTuBBA!!』は若者文化にうとい小林さんを逆手に取り、YouTubeの定番『メントスコーラ』『激辛焼きそば食べてみた』などの企画を配信。未体験の小林さんが定番企画に挑戦することによって生まれる新鮮なリアクションが楽しめるチャンネルとなっています。

 

 

 筆者は以前、YouTubeのほかにもニコニコ動画、ヘビメタ、プロレス、Vtuberと多岐にわたり新たなジャンルに挑戦し続けている小林さんにお話を聞いていました。

 

「いちばん最初はニコニコ動画ですね。私、最初はニコニコ動画のことがよくわからなかったんですが、マネージャーに『おもしろいの?』って聞いたら『おもしろいです』って言うから、それに乗ったんです(笑)」

 

 初めてニコニコ動画の生放送に出演した際は、演歌界の大御所の小林さんが経験したことのない連続だったと言います。

 

「スタジオに入ったら、『こんな小さいスタジオあるんだ』と思って。カメラも小さいデジカメで。モニターは大きなのがあったんですが、司会者に紹介されて私が出て行くと、そのモニターに『小林幸子だ』『本物だ』ってコメントが出るんですよ。私、知らなかったから『これはなんだ?』と思って。それで私の新曲を放送で流したら、視聴者が『うわ! 歌、うめぇ!』って書いてあったの。それで私が『ありがとね』って言ったら『とんでもございません』ってすぐに返ってきて。『これはなんなの?』と思って(笑)」

 

 生放送で視聴者とやり取りするなど、数多くの初体験でカルチャーショックを受けたものの、小林さんはその文化におもしろさを感じたそうです。

 

 小林さんが『NHK紅白歌合戦』に出演する際の衣装がド派手なことは有名な話。ニコニコ動画のユーザーは紅白で歌っている小林さんの出で立ちが、ゲームの最後に出てくる最大の敵であるラスボスに似ていることから、10年ほど前から小林さんを『ラスボス』と呼んでいました。

 

「出演中にモニターを見たら『ラスボス ラスボス ラスボス』って出てるんですよ。『これなんだ?』と思って。そしたら司会者の人が『すいません。幸子さんのことをラスボスって呼んでよろしいでしょうか』って。私、よくわかってないから『どうぞ』って。そしたら画面いっぱいに『ラスボスOK出た!』『ラスボス公認!』って文字がいっぱい出て。それで番組が終わった後にマネージャーに聞きましたもん。『ラスボスってなに?』って。そしたら、敵の悪いやつだったんですよ(笑)」

 

 小林さんがニコニコ動画に初めて投稿した曲は『ぼくとわたしとニコニコ動画』というニコニコ動画のテーマソングでした。

 

「私が『小林幸子です。曲を投稿します』って言ったら、ユーザーが『ザワ ザワ ザワ』『小林幸子?』『歌手の?』『ホント?』とか様子をうかがっている感じがあったんです。ニコニコ動画のユーザーの子ってお金の匂いがしたり、そういったものがあったら全部はじいて拒否反応を起こすんですよ。でも、私が『歌手の小林幸子ですよ。今回ね。みんなと同じところで私も好きな歌を歌います』って言ったら反応がすごくて、3日で100万回再生」

 

 ニコニコ動画では、YouTubeと違って100万回再生したところで、いっさい収益にならないそうです。そのことが歓迎されたのか、小林さんは一気にニコ生住人に仲間入りしました。

 

 今後はニコニコ動画やYouTubeだけにとどまらず、どんな新たなジャンルに挑戦してくれるのか。小林幸子さんの動向から目が離せません。

 

インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。

( SmartFLASH )

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