9月30日に亡くなった落語家・六代目三遊亭円楽さんが長く大喜利のレギュラーメンバーとして出演した『笑点』(日本テレビ系)。10月2日の放送回では、番組内で追悼のVTRを放送することが予定されている。
1月に脳梗塞を発症し、番組に出演できない状態が続いていた円楽さんだが、番組側は、円楽さんがいつ現役として戻ってきてもいいように、円楽さんの席はそのままに、週替わりでピンチヒッターの落語家がゲスト出演していた。その面子たるや、春風亭小朝、桂文枝、立川志らくといったそうそうたる顔ぶれだ。
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「円楽さんは1977年から『笑点』のレギュラーメンバーになりました。当時は先代の円楽さんの弟子で『楽太郎』を名乗っており、2010年までその名で出演していたため、いまも『楽太郎』のイメージが強い、という人もいます。
番組では『インテリ』『腹黒』というキャラクターを確立し、司会をいじる、いびる、馬鹿にする、というスタンスで、欠かせない存在となりました。いわゆる“裏回し”の元祖でもあり、『影の司会者』と評されることもありました」(放送専門誌ライター)
番組開始から56年を超えた『笑点』。多くの人気落語家が出演してきたが、円楽さんのように番組のレギュラーの座にありながら、亡くなってしまった出演者も多い。記憶に新しいのは、2018年に死去した桂歌丸さんだ。歌丸さんは1966年の番組開始時からレギュラーとして出演。2006年には5代目の番組司会に就任した。
「歌丸さんは、亡くなった円楽さんに『おい、ジジイ!』と呼ばれ、それに応じるかけ合いが人気を博しました。後年は肺の病気に悩まされ、2016年に司会を春風亭翔太さんに譲って番組を引退しましたが、その後も『終身名誉司会』、亡くなったあとは『永世名誉司会』として、番組のオープニングにその名がクレジットされています」(同前)
その歌丸さんと、1970年代に番組を大いに盛り上げたのが、四代目三遊亭小円遊さんだ。自らを「僕ちゃん」と呼ぶキザなキャラクターで、当時から薄毛だった歌丸さんを「ハゲ」呼ばわりし、それに歌丸さんが「化け物みたいな顔しやがって」とやり返すのが定番だった。「犬猿の仲」に見えた2人だったが、じつは大親友で、それゆえに呼吸のあった罵倒合戦が展開できたという。
1980年、小円遊さんは仕事で向かった山形県内で倒れ、そのまま帰らぬ人に。『笑点』では『追悼大喜利』がおこなわれ、歌丸さんや、当時の司会だった初代三波伸介さんが涙ながらに思い出を語った。
その三波伸介さんも、『笑点』レギュラーのまま亡くなったひとりだ。1970年から番組の司会を担当。お笑いトリオ「てんぷくトリオ」のメンバーだったが、これ以降、ピン芸人としてさまざまな番組で司会をこなすようになり、1970年代後半を代表するお笑い芸人となった。
「しかし、司会を務めていた1982年に自宅で倒れ、亡くなっているところを発見されました。大人向けの『笑点』のほか、子供に大人気だった『三波伸介の凸凹大学校』(テレビ東京系)、家族で楽しめた『お笑いオンステージ』(NHK)にも出演していた大スターの急死に、日本中がショックを受けたことを覚えています」(同前)
レギュラー出演者がそのまま亡くなるのは、長寿番組の宿命なのかもしれない。悲しくはあるが、最後まで現役で走り続けた人生に、「お疲れ様でした」の声を贈りたい。
( SmartFLASH )