エンタメ・アイドルエンタメ・アイドル

尾上右近 梨園の壁を乗り越えていくことへの思い「普通の人間だから、僕は舞台で “かぶく” 」

エンタメ・アイドル 投稿日:2024.01.28 11:00FLASH編集部

尾上右近 梨園の壁を乗り越えていくことへの思い「普通の人間だから、僕は舞台で “かぶく” 」

尾上右近

 

 歌舞伎俳優・尾上右近は、浅草「尾張屋 支店」に徒歩でやって来た。

 

「以前、ここで食事をしているとき、歌舞伎を観たお客様に『さっき舞台で観た歌舞伎俳優が普通にご飯を食べてる!』と驚かれました。

 

 僕は、歌舞伎俳優はあらゆる場で見られるのも仕事だと思っています。普通に生活しますし、食べる姿をお客様に見られることもあります。伝統芸能という部分だけでなく、歌舞伎をより身近に感じてほしいんです」

 

 

 豪快に蕎麦をたぐり、天丼の車海老をかじる。「仕事柄、早食いなんです(笑)」とあっという間に平らげた。

 

 東京は世田谷生まれ。曽祖父は歌舞伎俳優の六代目尾上菊五郎、祖父は昭和の名優・鶴田浩二と錚々たる名前が並ぶ。右近が「歌舞伎界のプリンス」と呼ばれる所以(ゆえん)だ。

 

 そんな彼は3歳のときに、六代目尾上菊五郎の舞台映像を観て、歌舞伎の虜になった。

 

「小津安二郎監督の記録映画『鏡獅子』です。ひとつの物語のなかで、一人の人間が女性と勇敢な獅子を演じるのですが、それを演じているのがひいおじいちゃんでした。ダイナミックな動き、生命の光があふれているような神々しさ……。今も忘れられません。そのとき、『どうしても歌舞伎俳優になりたい』と決意したんです」

 

 生き生きと歌舞伎の稽古に励む右近を見て、「そんなに歌舞伎が好きならやってみれば」と舞台出演の話がきた。

 

「7歳のときです。当時のことはすべて覚えています。すごく嬉しくて、舞台は楽しかった」

 

 だが、ここで問題が持ち上がった。右近の “家” は、清元節宗家。歌舞伎俳優の “家” ではなかった。清元節とは三味線音楽のひとつで、歌舞伎や歌舞伎舞踊の伴奏音楽として用いられるもの。右近は俳優ではなく、その家業を継いでいくべき人間だった。

 

「まわりの大人たちが(右近が)俳優になりたいのはいいけど、家業はどうするの? と見るようになってきて。ショックでした。歌舞伎も、踊りも、(清元節の)唄も大好きで全力でやってきたのに、俳優をあきらめないと清元はやれないよって……子供をつかまえて何を言ってんだって」

 

 2005年、12歳にして二代目尾上右近を襲名する。

 

「二つにひとつしか選べないのならやっぱり好きなことをやらないと後悔する。清元は棒に振るし、責任放棄かもしれない。俳優をやらせていただきたいとお願いしました」

 

 右近はさらに歌舞伎にのめり込んだ。そして周囲の同世代の歌舞伎俳優に対して苛立ちを感じるようになった。

 

「歌舞伎への思いは誰にも負けないと思っていました。正直に言うと、同世代の歌舞伎俳優に『たまたま歌舞伎の家に生まれただけ』『歌舞伎の家に生まれたのに、どうしてもっと真剣に歌舞伎に取り組まないんだ』と内心、自分を棚に上げ、嫉妬していました」

 

 この思いは、2015年におこなった自主公演『研の會』まで続いた。

 

「自己プロデュースの公演ってめちゃくちゃ人の助けが必要じゃないですか。だから、仲間を認める、リスペクトすることが大事なんです。歌舞伎もそうだって。同世代の俳優、仲間の大切さに気づきました」

 

 右近の変化を周囲も見ていた。2018年、右近は家元・延寿太夫の前名である七代目清元栄寿太夫を襲名。前例のない俳優と清元節の “二刀流” で活動することになった。

 

「清元の稽古は続けていました。俳優としての覚悟ができ、清元の家に生まれた責任を果たせると思い、襲名させていただきました。大変は大変です。たとえば、昼の公演ですごく太い声を出す立役をやり、夜の公演では清元で高音の美声を出さなくてはいけない、そんなときに、どうしたらいいか誰もわからない。探りながらだし、怖いですよ。でも、100%やらなくちゃいけないと思っています。二刀流ってどちらの刀も斬れるから成立するんだし」

 

 右近は、そば湯を飲み、ひと息ついた。そしてーー。

 

「じつは浅草のお店を選んだ理由でもあるのですが、僕は新春浅草歌舞伎に、一度も出たことはなくて……」

 

 新春浅草歌舞伎とは、毎年正月に浅草公会堂でおこなわれる興行で、若手歌舞伎俳優の登竜門と呼ばれている。「自分は、七代目尾上菊五郎師匠のもとで修業していました。菊五郎劇団は毎年、新春は国立劇場の舞台に立っていたので、僕は浅草に立つ機会がなかった。同世代の歌舞伎俳優たちが、浅草の舞台で端役から大役を経験し、成長していく姿をうらやましく見ていました。

 

 やはり、経験は大切です。『○月歌舞伎』とかになると、1カ月間の公演で、先輩から教えてもらったことを、消化しながら自分のものにしていくことにしっかりと取り組める。10代から20代のころにそういった経験をできないのは、悔しかった。浅草に来るたびにそれを乗り越えてやると思っていました」

 

 そういった歌舞伎俳優としてのある種の劣等感を、自身の努力で払拭してきた。

 

「でも、歌舞伎に限らず『地道な努力』とか『悔しい思い』って、芸の道では普通にあるもので、売り物にはならないですし。

 

 1月に僕が踊らせていただく演目は、歌舞伎のなかでも屈指の名作。それを正月に歌舞伎座で、30代前半の俳優が踊るなんてなかなかないこと。もう自分で言っちゃいますが、登竜門を通らずに大役をつかんだ、ジンクスを壊したぜ!って思っています(笑)」

 

 プリンス的な彼のイメージとは違い、その姿からは泥臭ささえ感じる。

 

「メディアに出るときの僕は歌舞伎俳優ですし、歌舞伎に興味を持っていただくことが大切。親しみやすいと思ってもらえる存在でいい。

 

 舞台は、どんな役、どんな演目でも、俳優の生き様や人間性とかが、パッと出てしまうんです。だから、究極的には『何もしゃべらなくてもいい』と思っています。本来の自分の気持ちとか本心とか信念、そういうものは口にしなくても舞台で伝わると信じています」

 

 伝統芸能であり、なにかと世間の注目も集める歌舞伎俳優。右近には理想像がある。

 

「この店で普通に食事をしている僕が、歌舞伎の舞台では文字通り『かぶく』。しっかりとした稽古に基づき、ぶっ飛んだ姿や凄い芸を見せる。

 

『普通』と『凄い』の間を自由に行き来し、伝統を『守り』つつ『壊す』。そういった両極端なことをしっかりとのみ込んで、舞台で表現したいですね」

 

おのえうこん
1992年5月28日生まれ 東京都出身 清元宗家七代目清元延寿太夫の次男として生まれる。曽祖父は歌舞伎の六代目尾上菊五郎、祖父は俳優の鶴田浩二。3歳で歌舞伎の世界に入り、7歳で歌舞伎座『舞鶴雪月花』で初舞台。12歳で二代目尾上右近を襲名、2018年には26歳で七代目清元栄寿太夫を襲名。3月2日~24日まで『三月花形歌舞伎』(京都四條南座)に出演。ほか、映画『身代わり忠臣蔵』(2月9日公開)も控えている

 

【 尾張屋 支店 】
住所/東京都台東区浅草1-1-3
営業時間/11:30~20:00
定休日/水曜

 

写真・野澤亘伸
ヘアメイク・Storm

( 週刊FLASH 2024年2月6日号 )

続きを見る

エンタメ・アイドル一覧をもっと見る

エンタメ・アイドル 一覧を見る

今、あなたにおすすめの記事