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『部屋とYシャツと私』平松愛理は「趣味がぬか漬け」だった

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2017.10.29 16:00 最終更新日:2017.10.29 16:00

『部屋とYシャツと私』平松愛理は「趣味がぬか漬け」だった

『本誌登場時の平松愛理』

 

『部屋とYシャツと私』で知られるシンガーソングライターの平松愛理が、10月26日放送の『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』(テレビ東京系)に出演。大ヒット曲の裏側を語った。

 

「当時の親友が結婚するというので、『じゃあ何か披露宴のための曲を作るわ』って言っちゃって。それで作ったんですよ。当時(私)は結婚の『け』の字もなかったので、いろいろな人にリサーチして」

 

 平松によれば、そもそも『部屋とYシャツと私』はアルバムに入っていた一曲。しかし2年ほど有線でかけたところ、口コミでリクエストが増加。ランキングが徐々に上がっていったという。

 

「(最初は)アルバムの曲として録音することすら反対していたスタッフがほとんどだったんです。それが『シングルカットしようか!』みたいになって」

 

 シングルCDとして販売し、売り上げは93万枚を超えた。ちなみに当時のギャラについて平松は、「私がもうちょっと上げて欲しいと言うまでは月15万円」と発言。

 

 お金は母まかせにしていたため、番組側が試算した印税額4655万円を本人にぶつけるも「どこにいったんやろ」とピンときていないようだった。

 

 平松は1989年2月21日、アルバム『TREASURE』でデビュー。
本誌は、それから半年後、「FM放送のときめき美女!」(1989年8月22・29日合併号)という企画にて平松にインタビューしている。

 

 当時、平松はFM大阪で週1回『Hit radio 99』の木曜担当パーソナリティを務めていた。

 

「前から、DJという仕事に、すごく興味あったんです。ただ難しいのは、いったい、私のどの “引き出し” を開ければいいのか……。そのへんの表現ってすごく勉強になることが多いんです」

 

 ラジオの仕事が、彼女の作詞活動にいい影響を与えていたのかもしれない。

 

「いまを大切に生きたいし、生きてほしい」と語っていた当時の平松は、記者が「20歳の女の子とは思えないほど」落ち着いていた。その平松の当時の趣味は、占星術とドライブとぬか漬けだった。

 

 女性版『関白宣言』とも言われる『部屋とYシャツと私』。平松は曲のイメージと違い、バブル景気とは縁のない古風な女性だった。

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