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「私が直接交渉し、商品を決めています」羽田美智子が見せる“実家六代目”の顔、商店をネットショップに

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記事投稿日:2025.04.19 06:00 最終更新日:2025.04.19 09:05
出典元: 週刊FLASH 2025年4月29日・5月6日合併号
著者: 『FLASH』編集部
「私が直接交渉し、商品を決めています」羽田美智子が見せる“実家六代目”の顔、商店をネットショップに

羽田甚商店の前掛けを手に(写真・布川航太)

 

 テレビや映画に活躍の場を持ちながら、異業界に進出した人気者たち。女優羽田美智子(56)は、茨城県水海道(現常総)市の生まれ。実家は5代続いた商家だった。その羽田甚商店6代目として、ECショップを開業して6年になる。

 

 

「以前の水海道は、それは賑やかな町だったんですよ。商店街は活気に満ちていて、まるで映画『ALWAYS 三丁目の夕日』みたいでした。地名のとおり、江戸時代から水運の船着き場として知られ、物資や人が集まり、商業が栄えたんです。近隣の市町村の方たちにも憧れられるほどだったのが、次第に寂れていき、今はすっかりシャッター街。つくばエクスプレスの路線から外れたおかげで、拍車がかかってしまいました。

 

『羽田甚』の屋号は、宮大工だった高祖父・羽田甚蔵にちなむ。

 

「宮大工から理髪用品店、戦後は文房具店、やがてお菓子屋に変わりました。小さいときには、ご近所で“ハダジンのみっちゃん”なんて呼ばれ、『宇宙人みたいで嫌だな』と思っていました(笑)。当時は男子校だった、近くの水海道第一高校の生徒の溜まり場になっていて、お兄ちゃんたちの膝に抱っこされ、遊んでもらったのを覚えています。あるときなんて、家の風呂に入っている生徒もいて、どうしたことかと思ったら、夕立でずぶ濡れになったので、母が入るようすすめたそうです。それで私の兄の服を着て、ご飯まで食べているんです(笑)。そうやって代々、生徒たちを受け入れてきたんですね。卒業して何十年と経っても、手土産を持って母に挨拶しに来るOBが何人かいました」

 

「ゆくゆくは家業を継ぐんだよ」と聞かされ、羽田もそう思いながら育った。

 

「映画やドラマの撮影、地元局の番組でナビゲーターをしていた関係で、よく通っていた京都でお店をやりたいな、と思った時期もありました。でも、二拠点生活の片手間では許されない、と諦めていました。ただ、そんな京都では町家文化や、リノベーションに興味を覚えるようになりました。何百年と続く老舗でも、場合によっては大胆にイノベーションをし、理念を保ちながら暖簾・看板を守り抜いている、と気づいたんです。家の商売もそんなふうにならないかな、とは思ってはいました。考えてみれば祖父の代でも、目の前に新たな文房具屋ができたから、競合を避けて菓子に転じたわけで、時代に合わせて業態を変えてきたからこそ、羽田甚も続いてきたんですよね。結局は兄弟の誰も継ぐ者がおらず、両親の引退を機に、2015年に店舗は閉めました。それならいっそ私の代として、新しい挑戦をしてもいいだろうと思い、ネットショップとして復活させることにしたんです」

 

 今、「羽田甚商店」が扱うのは、羽田が実際に食べたり、使ったりしている商品ばかりだ。

 

「原材料にこだわり、添加物も入っていません。私はちょっとしたことで体調を崩しがちなんです。原因がわからなかったり、治療に効果がなく、 “病院難民” になったこともあります。同じような人が同じ道を歩まぬよう、という思いから、生産者の方たちとは私が直接交渉し、何を販売するかを決めています。自分がよく知らないものは、人にもすすめられませんから。これまでいろんな役を演じてきましたが、商店主はなかったですね(笑)。老舗旅館の若女将を演じた昼ドラの『花嫁のれん』(2010~15年、東海テレビ)は近いかもしれません。大女将役の野際陽子さんとの嫁姑バトルが話題となって長く続いたシリーズで、いろんな学びが得られた代表作です。それ以外でも、演技の経験がビジネスに生かされている面はあると思います」

 

 自分の眼鏡に適った商品の説明をするとき、大きな瞳がさらにきらきらと輝く。羽田には、たしかに代々続く商人の血が流れている、と感じられる瞬間だった。

 

1988年デビュー。ドラマ『特捜9 final season』(テレビ朝日系)に出演中

 

取材/文・鈴木隆祐

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