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志尊淳×岸井ゆきの『恋は闇』真犯人の動機に「恋」要素は皆無…タイトル詐欺感がとっても残念【ネタバレあり】

2025年5月、都内でドラマ『恋は闇』(日本テレビ系)の撮影をする岸井ゆきの(左)と志尊淳(写真・金谷千治)
真犯人が明らかになり、動機もはっきりしたが、そのうえで率直な感想を言わせていただくと、「“タイトル詐欺感” がハンパないなぁ……」だった。
志尊淳×岸井ゆきののダブル主演で、6月18日(水)に最終話(第10話)が放送された恋愛ミステリー『恋は闇』(日本テレビ系)。
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志尊演じる男性主人公・浩暉は週刊誌の名物フリーライター。岸井演じる女性主人公・万琴はテレビ局の情報番組ディレクター。この2人のジャーナリストが、20代~30代女性が次々と猟奇的に殺害されている「ホルスの目殺人事件」の取材現場で出会う。
出会った当初は、チャラくて適当な言動が多く、スクープのためなら手段を選ばない浩暉に、万琴は強い嫌悪感を抱いていた。けれど、浩暉の報道に対する信念や人の気持ちがわかるやさしい一面に触れ、2人は愛しあうように。
一方、浩暉が連続殺人鬼なのではないかという疑惑が次々と浮上していく。本作のキャッチコピーは《愛した男は、連続殺人鬼なのか――?》だったので、浩暉が真犯人の可能性を示唆したまま物語は進んでいった。
■【ネタバレあり】真犯人が抱える学歴コンプレックス
結論を言うと浩暉は犯人ではなく、連続殺人鬼の真犯人は別の人物だった。浩暉は真犯人に脅されて犯行に無理やり加担させられていたが、浩暉が直接、被害女性を殺したことは1度もなかったようだ。
さて、ここからが本題の “タイトル詐欺感” について。
まず浩暉は連続殺人鬼ではなく、万琴への愛情も本物だったことから、主人公2人の恋愛関係に「闇」はなかったことになる。実際、浩暉は共犯者として懲役刑となるも、万琴は彼の帰りを待つことを伝えており、2人の愛の絆の強さを示したエンディングとなっていた。
それならば、『恋は闇』というタイトルの筋を通すためには、真犯人が連続殺人をおこなう動機に、どす黒い恋愛感情や恋愛観が根付いている必要があったと思う。
しかし、真犯人の動機に「恋」の要素は皆無だった。真犯人は10年前、浩暉の母親を猟奇的に殺害した際、浩暉に対して、殺人を犯した動機や快楽衝動をこう語っていた。
「こういうエリート気取ってる女(浩暉の母)って、自分のことは特別な階級だと思ってんだよな。人のこと見下してさ、自分だけ気持ちよくなってんじゃねぇぞ!」
「だって、楽しかったんだ。世の中のためにこの女を殺したほうがいいと思って立ち上がったんだけど……ウフ、ウフフ……思ったより興奮した!」
真犯人は、異様なまでの学歴コンプレックスを持っており、その劣等感から罪のない高学歴キャリア女性を惨殺し続けていたのである。
■視聴者からの信頼を裏切るような真犯人像が、非常に残念
おわかりいただけただろうが、真犯人の動機に「恋」要素が皆無なのだ。さらに言うなら、真犯人はこれまでにさまざまな作品で登場してきたありがちなサイコパスキャラで、ニタニタと笑いながら自白するシーンなどは既視感がありまくり。
なぜ真犯人の動機や殺人衝動を闇深い恋愛感情に起因したものにしなかったのか? いくらでもそういったキャラ設定にできそうなのに、脚本家や制作陣の判断が疑問でしかない。
ちなみに、真犯人として一番怪しかったのは万琴の親友・向葵(森田望智)だった。
万琴と向葵、そして刑事の正聖(白洲迅)は高校時代の友達なのだが、正聖は万琴に片想いで、向葵は正聖に密かに片想いしているという関係性だった。また、向葵は高3のときにストーカー男に刺され重傷を負ったというトラウマがあり、その過去も「闇」を生み出す原因になっていた可能性も考えられた。
多くの視聴者が向葵を疑っていたと思うが、それは『恋は闇』というタイトルにきちんと意味があり、真犯人の「恋」に「闇」があるはずという視点で考察していたからに違いない。
向葵を真犯人予想していた視聴者も、最終話で明かされた真犯人の動機にしっかり「恋」がからんでいれば納得できただろうが、「恋」要素がまったくなかったため、タイトル詐欺だと感じた視聴者は多かったのではないか。
タイトルは作品のテーマとも言え、その内容に沿った結末にすることは、ある意味、制作陣と視聴者の間に交わされる “約束” のようなもの。多くの視聴者は制作陣との “約束” を信じてエンディングまで見届けたはずだが、最終話でタイトルの意味が回収されることはなく、視聴者からの信頼を裏切るような真犯人だったのが、非常に残念だった。