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田原俊彦「不適切言動」騒動で39年ぶり『紅白』出場ピンチに“過剰演出”でNHK“出禁”噂されたアーティストたち

田原俊彦
「僕がちょっと調子に乗りすぎました。お騒がせしてすみません」
6月22日、いつもは“俺様”を気取る田原俊彦が、マスコミの前で殊勝に頭を下げて謝罪した。
「田原さんは6月15日放送のラジオ番組『爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオほか)にゲスト出演した際、『真ん中の足はもっと上がる』『いまもギンギンです』など、下ネタを連発、さらに進行をしていた女性アナウンサーの手に指で触れるなどしました。
そのため、TBSラジオも『これら一連の言動は不適切なものであった』として、田原さんサイドに再発防止の申し入れをしたということです。田原さんからはお詫びがあったと聞いています。
田原さんは『爆笑(問題)との関係性のなかで言ってしまった』としていましたが、脱線発言に爆笑問題の太田光さんが喜んでいたため、悪ノリが過ぎたのでしょう」(芸能記者)
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しかし今回の騒動は、「謝罪」では済まなかった。
NHKは、田原が出演する予定だった6月24日放送の音楽番組『うたコン』への出演取りやめを番組公式サイトやXで、前日の23日に発表。NHKは理由を明らかにしていない。
「NHKは故・ジャニー喜多川さんの性加害問題から、コンプライアンスの意識をさらに厳しくして、他局での発言や行動も対象にしています。しかも『うたコン』は生放送ですから、田原さんがそこで“やらかし”でもしたら、取り返しがつきません。NHKとしての姿勢をアピールする意味もあったと思います」(NHK職員)
しかし、今回の出演取りやめについて、田原のファンには別の意味で落胆が広がっているようだ。
田原は1980年、『NHK紅白歌合戦』に初めて出場し『哀愁でいと』を熱唱した。以来、1986年まで7年連続で出場、『紅白』の常連ともいわれたが、1987年に予想外の落選をしている。その結果を受け、田原は「来年、選ばれても出るかどうか分かりません。僕も男ですから」と悔しさをにじませていた。
「翌年の1988年、田原さんは自らが主演したドラマ『教師びんびん物語』(フジテレビ系)の主題歌『抱きしめてTONIGHT』が大ヒット、同年の『紅白歌合戦』に出場にノミネートされました。
しかし田原さんは、意地を通して辞退という選択をしたのです。以降、田原さんは『紅白歌合戦』の出場歌手に選ばれていません。
ヒット曲がなかったといわれればそれまでですが、2025年は81作めのシングル『LIFE IS A CARNIVAL』が、1992年発売の『雨が叫んでる』以来、33年ぶりにヒットチャート入りしました。ファンとしては39年ぶりの『紅白』出場を夢見てもおかしくありません」(前出・芸能記者)
田原が今回の件でNHKを“出禁”になったのかは定かではないが、過去の『紅白歌合戦』では、過剰演出が災いして出場歌手が一時的に出演しなくなり、“出禁“と噂されることがあった。ただし、その後は“雪解け”をしている。
1982年にはサザンオールスターズの桑田佳祐が「受信料は払いましょう! 裏番組はビデオで観ましょう!」とアドリブで叫び、以降、NHKへの出演が遠ざかった。『紅白歌合戦』には、それから27年後に再出場している。
また、1992年には本木雅弘が、白い液体入りのコンドームを首に巻いてステージに登場し、大問題になった。その後、本木は1998年の大河ドラマ『徳川慶喜』では主役を務めた。
さらに2006年、DJ OZMAとして出場した綾小路翔は「全裸に見える」といわれたスケスケの衣装で出場。長くNHKに出演することはなかったが、いまは“解禁”になっている。
今回の不適切な言動が、田原の『紅白』出場機運に水を差すことになるのか。