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「俺、お別れしてないから」萩本欽一が語る亡き妻“スミちゃん”との60年愛…ネックレスを渡された日から、最後の「ありがとう」まで

芸能 記事投稿日:2026.07.12 06:00 最終更新日:2026.07.12 06:00

「俺、お別れしてないから」萩本欽一が語る亡き妻“スミちゃん”との60年愛…ネックレスを渡された日から、最後の「ありがとう」まで

「俺、ひとりになった感覚がないもん」と萩本欽一(写真・木村哲夫)

 

 長年にわたり、第一線で刺激や笑いを届けてきた表現者たち。その胸には、愛する人と過ごした大切な時間が、色あせずに残っている。萩本欽一が、2020年に82歳で亡くした妻・澄子さんとの思い出を語る(以下、萩本の語り)。

 

 スミちゃんはね、浅草の東洋劇場のトップの踊り子だった。俺は、卵からかえったばかりのどんじり。10人ほどいる踊り子さんたちからは、「坊や」って呼ばれてた。

 

 先輩芸人でも、女のコに声をかけたらクビになる世界でね。初対面の印象を聞かれてもわかんない。踊り子さんたちが目の前を通るときは、こっちは頭下げてっからさ。俺はこのとき、高校を卒業したばかりの18歳。

 

 3年ほどたったころ、東八郎さんに「おい、欽坊。お前もそろそろ、地方で武者修行してこい!」って言われて、年上の後輩がさ、スミちゃんに相談したんだよ。「送別会やってあげて」って。それで、3人で鯨料理の店に行くことになった。でも俺、スミちゃんの名前さえ聞けなくってさ。

 

 で、店を出るとき、「お姉さん、ありがとうございました」って頭を下げる俺に、自分のネックレスを外して、ポーンと投げたのよ。「困ったら質屋にでも入れな」って。

 

 惚れるとかそういうんじゃない。かっこいいなと思ったね。そのもらったネックレスはさ、地方に行ってつらいときとか、グッと握りしめて、話しかけたりしてたのよ。「頑張るからね」「恩返しするからね」って。でもさ、いつのまにか失くしちゃった。ずっと、ズボンに入れてたから。洗濯屋かなぁ。

 

 半年して、地方から戻って、舞台に立つようになったある日、家具も何もない3畳のアパートに帰ったら、そこにテレビがあったのよ。階下の豆腐屋さんが大家だったんだけど、「女の人が来て、テレビを置いてった」って言うんだよ。

 

 女の人なんてスミちゃん以外、心当たりがないから、劇場ですれ違ったときに聞いたら、「いずれテレビに出るようになるんだから。観といたほうがいいよ」っつって。またしばらくして、タンスが入ってたことがあったし、帰ってきたら、3畳から4畳に部屋が移っていたこともあった。ぜんぶ「私が払うから」って。変な人だなぁと思ってた。

 

出典元: 週刊FLASH 2026年7月21日号

著者: 『FLASH』編集部

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