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「俺、お別れしてないから」萩本欽一が語る亡き妻“スミちゃん”との60年愛…ネックレスを渡された日から、最後の「ありがとう」まで

芸能 記事投稿日:2026.07.12 06:00 最終更新日:2026.07.12 06:00

「俺、お別れしてないから」萩本欽一が語る亡き妻“スミちゃん”との60年愛…ネックレスを渡された日から、最後の「ありがとう」まで

「俺、ひとりになった感覚がないもん」と萩本欽一(写真・木村哲夫)

澄子さん、2人の子供たちと萩本欽一。三男が生まれ、萩本家は二宮町に引っ越した

 

■「結婚してます。6カ月半になる子供もいます」と会見を開いた

 

 週刊誌の編集長に相談して、NHKに集まっている新聞記者たちの前で会見を開いたの。「ごめんなさい。結婚してます。6カ月半になる子供もいます。スミちゃん、どこにいるかわからないけど、無駄な抵抗はやめて出てこい!」ってね。

 

 会見のあと、NHKの前には、ほかのテレビや雑誌の人たちが集まってきていた。「みなさんの質問に答えます」って言ったらさ、誰も手を挙げないし、聞いてもこない。俺は何時間でも、夜中になっても、質問に答える覚悟ができてたのにさ。すると、一人の記者が、後ろから俺をポーンと叩いて、「俺たちはさ、頑張ってるやつは潰さねえんだよ」って。もうさ、泣けちゃって。俺に女と子供がいるのを知ってた記者も多かったみたい。でも、記事を出さなかったんだって。「欽ちゃんは、きっと自分の口から説明するはず」って。後で聞いた話ね。

 

 スミちゃんは、その会見を、お母さんと一緒に観てたんだって。「欽ちゃん、結婚」って画面に出たから、誰だろう? と思ったら、自分の名前が呼ばれたから、子供を抱えて、また家を出たんだ。マネージャーが一生懸命探してくれた。やっと会えたと思ったら、幸せなそうな顔はまったく見せない。自分の存在を、表に出してほしくなかったんだね。

 

 結婚して子供ができて、神奈川県の二宮町に家を買った。あのころ、俺は忙しかったけど、最初は週末だけ帰ってた。するとさ、スミちゃんが、「あなたが一生懸命に父親をやろうとするのはよくない。好きな仕事をとことんやりなさい」って言う。それで仕事に没頭するようになって、それからは、年に3日くらいしか、スミちゃんとこには帰らなかったな。たまに仕事帰りに立ち寄っても、「新幹線の最終で帰れ」って言われたんだよ。

 

 2016年、スミちゃんが78歳のとき、がんが見つかった。先生は「早ければ半年で亡くなるかもしれない。奥さんに伝えますか?」と聞かれたから「私が言うと裏を読む人だから、先生からまっすぐ言ってあげてください。相当、根性の座った女性ですから、驚くことも泣くこともないでしょう」って言った。スミちゃんはやっぱり、「あぁ、そうですか。私も頑張ります」って、動じなかったね。

 

 最初は、抗がん剤や放射線治療が効いたみたい。医者は「がんの進行が止まってる」って言うんだよ。スミちゃんも電話で、「最近、子供が私を病人扱いしなくなった」って言うから、「おっかさんが元気にしてるからだよ」って返してさ。じつは、スミちゃんは心配されるほど、「病状がやばいんじゃないか」って思っちゃうからね。だから俺が子供たちに、「病人扱いするなよ」って言っておいたの。

 

 で、ある日、ゴキブリに「ひゃー」って驚いて、スミちゃんが尾てい骨を骨折して入院しちゃった。先生が言ってた。「骨折の手術をするには、がんが進行していて、厳しい」って。

 

 ちょっとやばいと思って、見舞いに行った。スミちゃんって、「ごめん」とか「ありがとう」を絶対言わない人だった。それで俺はよかったの。それなのに、このときスミちゃんが、「ありがとうね」って言ったの。「俺、初めて聞いたよ。スミちゃんの“ありがとう”。ばんざーい」って、喜びながら病室を出た。でも、ふと「やばいんじゃないか」って心配になってさ。次にお見舞いに行ったら、今度は「ありがとう、ありがとう」って2回。そして3回めは、「本当にありがとう」。最期に、「本当に」がついたんだ。

 

出典元: 週刊FLASH 2026年7月21日号

著者: 『FLASH』編集部

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