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文豪が愛し続けた「神楽坂」に、粋な居酒屋が急増中
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2020.10.07 16:00 最終更新日:2020.10.07 16:00
今、中高年夫婦に、ゆっくり居酒屋を巡る旅が人気です。それには最低2泊を奨めます。着いて翌日帰るのではあわただしい。朝その町で目覚めて、また眠るのが旅の良さ。
では、実際にどのような居酒屋があるのでしょう。テレビBSイレブン『ふらり旅 新・居酒屋百選』に出演中の作家・太田和彦氏が、一例として神楽坂の「粋な町の粋な店」をお教えします。
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戦前からの古い花街・神楽坂はその名のとおり飯田橋からの上り坂で、梢高い並木越しの鰻やお汁粉、肉まんなどの老舗、小間物店、ミニ盆栽店、外に皿小鉢を並べた瀬戸物屋などが楽しい。坂下の「のレン神楽坂店」は急増した訪日外国人客に向けた手拭い、巾着袋、姫鏡台、羽織袴・振袖を模したボトルカバーなどが並び、日本女性にも人気だ。
中央の神楽坂通りから左右に分け入るいくつもの横丁は、石畳の細路地、折れ曲がる石段となって迷路化。黒塀高い料亭はあこがれをそそり、昼は見番横丁に三味線お稽古の音色、夕方となれば盛装の芸者さんとすれちがうこともしばしある、たいへんよいところ。
坂上の朱色鮮やかな「毘沙門天 善國寺」で手を合わせよう。境内一角の湧き水に立つ「浄行菩薩」は〈水が垢や穢れを除いて一切を洗い清めるが如く我々の煩悩の汚泥を除いて心身の病を除き寿命を延ばし……〉とあり、備え付けの布を絞って自身の体の気になるところと同じ箇所を磨けば平癒する、とありがたい。
さてどこにするか。文豪もこの地を愛し、漱石、鴎外、鏡花、白秋らは居を構えた。兵庫横丁の旅館「和可菜」は、作家や脚本家が泊まり込む執筆旅館として有名だっだ(現在は閉業)。
江戸からの老舗紙店「相馬屋源四郎商店」は、明治に扱い始めた洋紙の断裁間違いを〈ご自由にお持ちを〉と店頭に置くと、尾崎紅葉がこれで原稿用紙を作ったらどうだと提案し、日本最初の原稿用紙が生まれた。それにしたためた紅葉の筆字原稿や、漱石の〈坊ちゃん印税受け取り一覧〉も残り、「相馬屋製」と入る原稿用紙は作家のあこがれとなった。
作家たちはまた酒を愛し、神楽坂には気のきいた小料理屋や居酒屋はいくらでもある。創業昭和12年の老舗「伊勢藤」の、石畳にたっぷりの長い縄暖簾は昔とまったく変わらず、飲んだ勢いの大声を注意されるのも変わらない。私も注意された。その角を曲がった「世喜」は、出るときに古風な「切り火」を打ってくれる。
まことに神楽坂は「東京の京都」だが、ここ10年はヨーロッパの人がたいへん増えて住むようになった。近くの「アテネ・フランセ」はその拠点のひとつで、本場ヨーロッパと変わらないビストロやカフェも急増した。
一方、新しい居酒屋もぞくぞくできている。
「石臼挽き手打 蕎楽亭」はカウンターと机席とが清潔で広く、大勢の白調理着板前、黒前掛けのお運び女性がてきぱきと気持ちがよい。居酒屋としてもたいへん充実し「蕎麦前」どころかそっちをメインにできる。酒は、それぞれ解説つきで全国もれなくそろい、肴も正才ふぐの刺身、昆布森の生牡蠣、小柱の刺身、明石蛸ぶつ、松茸とハモの小鍋、穴子の胆の佃煮など本格料理屋と変わらない。
蕎麦屋に腕を問われる天ぷらは特にすばらしく、一品から注文を受けて目の前で揚げる「チュンチュン」という音の良さ。〈才巻き海老〉はまず頭をさっと揚げ、次いで身を。殻を開けた〈はまぐり〉は大きいのをそのままに、小柱のかき揚げは合わせた緑が美しい。
若い主人は脱サラして神田の名蕎麦店「松翁」に入り、わずか3年の修業で暖簾分けを許されるまでになった。出身は会津。「店を始めるときは故郷なんかに目もくれず、全国の名食材で勝負と思っていましたが、そうしているうちに逆に会津の良さがわかるようになって」という言葉がいい。
全国を知った結果、蕎麦粉は会津産のみ、日本酒は福島の十数種を中心にと決め、会津名物〈こづゆ〉〈馬刺し〉も入れた。
本格蕎麦と言っても〈カレーそば〉〈トマトそば〉などもあるのがうれしく、〈めおともり〉は蕎麦とうどんの合い盛り、〈むぎめおと〉は冷や麦と蕎麦というのがほほえましい。黒い殻挽きぐるみと白いせいろの、共に十割蕎麦の合い盛り〈二色そば〉は絶品だった。まさに名店、ここに通える人がうらやましい。
毘沙門天のすぐ前。向こうから人が来ればすれちがえないほどの細路地半ばの居酒屋「酒ト壽」は、古民家の玄関脇二間の外壁を取り払ってガラス戸にし、中が丸見えの開放感がいい。1階はコの字カウンター、履物を脱いで急階段を上がった2階は下宿のような畳部屋で、ここでの大勢飲みは楽しそうだ。
カウンターの中は板場、煮物揚物、配膳台など。一角に安置するのは、今はかなり珍しい「流動式燗付器」だ。上から酒を入れ、お湯タンクの中のらせん管をくぐらせると丁度よいお燗になって出る。日本酒は動かすことで味がよくなる。
名文句「酒は純米、燗ならなおよし」を頭書した日本酒のそろいは完璧だ。産地明記の新鮮な刺身のほか、人気は4種の貝を「いしる」で煮たのを、帆立の浅い貝殻に入れ客前で貝焼ふうに炎で温める〈貝の浜盛焼〉、毛ガニの身を野菜と和えて甲羅に詰め、赤い脚肉をのせた〈毛ガニのコールスロー〉、〈甘えび塩辛〉〈その日の煮魚〉などなどなど。
気っ風のよい若い男女が、これが自分の選んだ仕事とばかりにきびきび働くのがまことに気持ちがいい。若い大将は「壽とは幸せのこと。酒で幸せになってほしくて店名にした。あこがれの神楽坂に店を持てたが、激戦区でもあり『残るべきは残る、消えるべきは消えてゆく』場所」と語る。ここに足をつけると決めたまっすぐな顔が頼もしい。
昔も今も、神楽坂は東京でいちばんよいところだ。
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以上、『太田和彦のふらり旅 新・居酒屋百選 名酒放浪編』(光文社新書)をもとに再構成しました。日本全国19の街65軒の素晴らしき居酒屋を紹介します。
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