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昆虫&植物の表紙撮影を42年「ジャポニカ学習帳」写真家の波瀾万丈探検記

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2020.11.01 06:00 最終更新日:2020.11.01 06:00

昆虫&植物の表紙撮影を42年「ジャポニカ学習帳」写真家の波瀾万丈探検記

 

 小学生のころ、誰もが手にした「ジャポニカ学習帳」。昆虫写真が表紙から消えて8年がたつが、このたびジャポニカ学習帳50周年の節目に、昆虫写真の表紙が復活した。

 

 ジャポニカ学習帳の発売当初、競合他社のノートは、イラスト表紙が主流だった。そのため、写真の表紙は画期的で大好評に。しかし他社も写真の表紙が増え、売り上げは伸び悩んだ。

 

 

 そこで、あるひとりの異色な写真家に白羽の矢が立った。それ以来42年間、昆虫と植物の写真でジャポニカ学習帳を支え続けている。昆虫植物写真家の山口進、72歳。ショウワノート株式会社の担当者が明かしてくれた。

 

「環境問題が注目され始めた1970年代、弊社でも何かメッセージを発信したいという機運が高まりました。珍しい海外の昆虫や花を学習帳の表紙にすれば、子供たちが自然に興味を持ってくれると考え、山口氏にオファーしました。

 

 以前、帰国したばかりの山口氏に、追加で別の写真を注文したことがあるんです。しかし嫌な顔ひとつせず、すぐに渡航してくださったことをよく覚えています」

 

 山口氏は、穏やかな語り口からは想像もできない、波瀾万丈の人生を送ってきた。

 

「富士通のシステムエンジニアだったある日、デパートで昆虫写真展を見たんです。それ以来、写真家になりたい気持ちを抑えられなくなって……。童話作家をしていた叔父に相談すると『たぶん食えないだろうが、やる価値はあるぞ』と。それで決心したんです。

 

 叔父から、『ニューギニアへの切符なら手に入る』と教えられ、ある飲み屋に向かいました。すると、海運会社の社員がいて、『貨客船でニューギニアに行きたい』と交渉し、乗せてもらえることになりました」

 

 エリート会社員の地位を捨て、退職金で買ったカメラを片手に2カ月間、インドネシア・ニューギニア島へ。

 

「カメラは独学で、とにかく撮り続けて、なんとか初撮影を終えました。しかし、帰りの船が出る日に港へ行ったら、『1カ月遅れる』と。お金も底をつき、どうしようかと悩んだ末、1カ月ほど、近くの先住民の集落にお世話になりました」

 

 帰国後も行動力はそのまま、『アサヒグラフ』の編集部に手紙を送った。

 

「すると、すぐに全64ページ中の32ページで特集を組んでくれたんです。その後は、連載も決まりました。おかげさまで生活はできるようになりましたが、次の取材費に回す余裕はありませんでした。

 

 そこで会社員時代のスキルを生かしたバイトをすることに。当時はプログラマーが少なかったので、けっこういい稼ぎになったんです。印刷した大量のコンパイルシートを海外に持って行き、電話でバグ取りの指示をしたこともありましたね(笑)」

 

(1)ドルーリーオオアゲハ(旧ザイール)写真・山口進

 

 その後、ジャポニカ学習帳の担当者からオファーがあり、表紙を撮ることとなった。

 

「印象深いのは、アフリカ・旧ザイール(現コンゴ民主共和国)の(1)ドルーリーオオアゲハ。当時まだ撮影されたことがなかったアフリカ最大の蝶です。

 

 滞在許可が1カ月しか下りず、2週間かけて生息場所を突き止め、残り2週間でなんとか撮影できました。でも帰国して現像すると、カメラの不具合で半分以上が真っ黒……。肝を冷やしましたが、いくつかは現像できてホッとしました

 

 1990年当時の旧ザイールは、治安が最悪で、熱帯病だらけの場所だったんです。ザルモクシスオオアゲハの撮影にも初めて成功した、思い出深いロケになりました。標本は興味ないのですが、この2種の蝶だけは標本で手元に置いてあります」

 

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